「おなら」は「お鳴らし」の略。

ちなみに、おならは、屁。
屁をすることを放屁(ほうひ)と言う。


「サボる」はサボタージュ(sabotage)の略。


「H」は変態の略。


「さよなら」は「左様ならば」の略。

以上、あなたにとってはどうでもいい略語にまみれた世界の一部でした。




いつものスーパーには黒人のレジ店員がいる。

今日もそのスーパーに行ったら俺の前に黒人のお客さんがいた。

店員「いらっしゃいませ」「袋はお付けしますか?」

お客「はい」

どっちも外人だけど日本にいるから日本語でやりとりしてた。


そんなことはどうでもよくて、この前の雨の日、新宿駅で乗り換えて電車に乗ってたら前の女の人の視線を感じる。

なんだよなんだよ、って手元を見たら、傘がこんなんなってた↓↓

誰か、傘の本体見ませんでしたか?

取っ手は家に置いてあります。

飛んでもNight!!!!

素粒子とは物理学において、物質を構成する最小単位のこと。

最小の単位ということは、「それより小さな存在がない」ということ。

従って素粒子は内部構造を持たず、空間的な大きさを持たない、または空間、長さ自体が最小単位の大きさとされるが、超弦理論において、全ての素粒子は有限な大きさを持つ紐の振動状態であるとされている。

現在のところ物質を構成する素粒子と考えられているものは、クォークとレプトン。

だが、

これらに内部構造が存在することが発見されれば、クォークやレプトンは素粒子ではないということになる。
ということは、

素粒子=絶対的最小単位

今現在、素粒子とは、クォークやレプトンのことを指すが、絶対的にクォークやレプトンが最小単位であるという断言はできないということ。

ということは、クォークやレプトンに内部構造が発見され、その内部構造のものが素粒子となっても、それは絶対的に素粒子であるとは限らないということ。

今でも人の想像を超える大きさであろう「膨張を続ける宇宙」とは逆の、ミクロの世界でも、果てしない素粒子の世界は続く。。。。


すげーなおい。


ちなみに、

もっとすごい?事実。

クォークやレプトンの大きさは分かっていないらしい。(この時点でもう果てしなくすごい)

「仮に、有限の大きさがあるとしても陽子のスケールにおいても点とみなすことができる大きさである。」と続いている。

ということは、すでに大きさが分かっていないくらい小さなクォークやレプトンだが、有限の大きさがあるとして、点とみなしても良いくらいの大きさだから、これ以上に小さな単位=素粒子となるものがあって当然、だが、今の時点ではクォークやレプトンであるとしか考えられていないというのが人間?の限界ということ。


最後に素粒子物理学の研究目的とは、

素粒子の様々な性質を実験で調べて、それを理論的に体系化していくこと。および、理論的に予言される素粒子を実験で探索していくこと。らしい。

ということは、現在の「こたえ」となるものを単なる予測ではなく決定的な証拠(=答え)を元に並べて、並べたところでそこからさらに予測される新たな答えを、また、決定的な証拠となるように探索していくということです。


すげーよなおい。



検索するのも、選択するのも自分。

多くのものが存在していても、その中で自分が検索するものなんてたかが知れてる。


自分が検索したものとは違うもの、または逆のものがヒットする「逆検索ボックス」があれば面白いのに。

需要は少ないけど、少ない需要の中にこそ新たな供給チャンスがあるんじゃないの。


でも、ほとんどの人は自分が知りたい情報だけを求めてる。

知識を増やすことを面倒くさがり、まるでカンニングするかのように検索して楽に情報を得る時代。


知りたいことを理解するために、苦労する時代はもはや死語みたいなもんか。


昔からPOPSは金になるが、POPSを聴かないかっこよさを求めた人が存在している。

その「POPSを聴かないかっこよさ」の中にいる人間こそ探究心と強い魂がある。


だからいつの時代も流行に合わせたPOPSは金になるんじゃないの。




記憶が消えてしまうのは恐い。

でも、消えてしまえばそれすら忘れる。



「あの人は可哀想。」

「あの人」が自分だとしたら、自分を可哀想って思うのか?

可哀想って言葉、他人行儀。



口は災いの元ではない、言葉を理解できることこそが、災いの元。



「あーゆうふうにはなりたくない。」と自分が思えば、相手もそう思ってる。

もし、魂無き物に言葉があれば、「あなたにはなりたくない。」って言ってるだろうな。




客観的な視点とかは別にどうでもいい。

楽観的と思われたほうが人付き合いは楽である。




俺のじいちゃんはプロ野球を見る。

相撲を見る。

時代劇を見る。


でも料理番組は見ない、そんなじいちゃん。




小学生のとき、プロ野球を見てるじいちゃんに、「どこのファン?」って聞いたことがある。

んだらば、じいちゃんは


「負けとるほうを応援する。」と言った。


応援、、うんうん、


応援かぁ。