【ユーロ経済学】
独総選挙、メルケル氏独り勝ち 「何も残らない」協力者の悲哀
2013.10.5 15:18 (1/3ページ)[欧州]

 9月22日実施のドイツ総選挙は、まさにメルケル首相の「独り勝ち」だった。債務危機対応などで見せた堅実な手腕に対する国民の信頼の高さが改めて示された結果なのだが、一方で首相に協力してきたはずの連立パートナーや野党があおりをくう格好ともなっている。「メルケル氏と組むと、何も残らない。ペンペン草どころか捲き殺し」-。そんな言葉もメディアではささやかれている。


自民党初の議席0
 「党の歴史で最もつらく、悲しい時だ」。選挙翌日の9月23日、くやしさをにじませて辞意を表明したのは、自由民主党のレスラー党首。同党はメルケル氏の保守系、キリスト教民主・社会同盟の連立相手でありながら、結党後初の「議席0」という最も厳しい審判を下された。 中道リベラル系の自民党は1948年の結党。同盟と中道左派の社会民主党という二大政党に次ぐ「第三勢力」として、旧西独時代には連立政権が主流のドイツでキャスチングボートを握ってきた。延べ44年の政権参加期間は同盟や社民党より長い。 党勢低迷の原因には、党内対立や前回2009年選挙の減税公約が実現できなかったことなどが挙げられる。かつて減税策をめぐり、ホテル業者との癒着疑惑が浮上したことも尾を引いたといわれる。債務危機では支持者や党内でドイツの負担が伴う対策への異論が強く、ギリシャ支援ではレスラー党首自身が同国の「秩序ある国家破綻」の可能性に言及したこともある。それでも政権の対応に協力してきたが、選挙では多くの支持者が「ユーロ解体」を掲げる新党「ドイツのための選択肢」に流れた。 中小企業経営者を支持基盤とする自民党は、社会福祉と市場主義のバランスをとるドイツ型経済で、「個人の責任」重視の自由主義を標榜(ひょうぼう)してきたのが特徴だった。だが、メルケル政権の政策が左派寄りともなる中、独自性が発揮できなかった。 「大政党に対し『修正』を求める小党の役割を放棄してしまった」。政治学者、エーベルハルト・ホルトマン氏は自民党敗北をこう分析している。

社民党は「選挙後」
 メルケル氏に協力して難しい状況にあるのは社民党も同様といえる。社民党は前回選挙から得票率を若干増やした。だが、これは社民党と同盟による大連立政権(05~09年)後の前回選挙で両党から小党に流れた票の一部が戻ってきたにすぎない。社民党の今回の得票率は戦後2番目に低い。 社民党は本来、同盟より「親欧州」とされ、選挙戦ではメルケル氏がギリシャなど危機国に促してきた過度の財政緊縮策などを批判。メルケル氏がユーロ共同債などに反対する一方、公約にはユーロ圏諸国の一部債務を共同返済する基金の設立も掲げた。 だが、社民党もギリシャ支援などの議会採決で、連立与党に造反が出る中でも協力してきた。その手前、メルケル氏への過度の批判は自党に跳ね返りかねない。危機対応を必要以上に選挙で争点化すれば、国民に負担を求める可能性に言及せざるを得ず、議論にも踏み込めなかった。

 さらに悩みは「選挙後」だ。自民党が議席を失い、社民党はメルケル氏の連立相手として最有力視されるが、社民党には前回の大連立政権での苦い経験がある。社民党は財務相など主要閣僚を担い、金融危機でも迅速に景気対策などを打った。しかし、メルケル氏の前では存在感を発揮できず、前回選挙では戦後最悪の得票率だった。そのため再度、大連立を組むにしても条件などで慎重にならざるを得ない状況だ。 独紙ウェルトは「メルケル氏と組んだ者には自民党のように何も残らない」と指摘した上、「社民党が大連立を組むなら、それは犠牲行為に等しい」としている。(ベルリン 宮下日出男)