つまりは


プロの笑いは「ビクビク」、、大学生の笑いは「ワクワク」である傾向が強くなるのだ。


プロは名誉と役目を果たさなければいけないハードルに対する「ビクビク」

大学生は、スベッテも大丈夫な身分なのだから「ワクワク」、、


こういう形になると理想的な気がしたし、現実そうなることが多い。


原点としてもっとくべき理論は


「これをしたら笑うはず」、、

ではなく、、


「これをしたらどうなるだろうか」



のほうが、

「考え方、発想の手数が増える」もちろん「すべる確率はふえてしまうが」


俺がプロよりも大学生の笑いが好きだった理由はやっぱりここにある。

最初は「頭がいいから、面白いものを思いつく」という

安直な理由だと思っていたが、、、そこだけじゃなく、

「すべること覚悟で新しいことを試せる場でもある」


と気づいたのが、俺が気づいたのも大学7年という時間のかかり具合!!

なんたるや。

お金とか稼ぎたいとか人気者になりたいとかよりも、「面白いことして目立ちたい」という

ことを第一に考えて生きてきた俺にとっては、どう考えても「プロよりも大学生」の

お笑いに浸っていたかった。


ものすごくい多くの技を学ぶことができたし、収穫はあったと思っている。



シュール、正統派の2パターンからの脱却の一つに

「カオス」というものがあったが、これを分析しだしたのが、大学5年くらいからだ。



お笑いあるあるだが、「正統派で笑えなくなる」、、症状で、

お笑いEDになったすえに、、バッファロー吾郎さんや、リットンさんの芸風に

救われるというパターンの


果てにできて、途中から完成したのが


「茶番道」という芸風だった。これが大学6年から7年にかけてくらいにやったことだ。


これは

「リアリティ考えたって、コントも漫才も、所詮はお笑いは作り物!!だからこそ

あれこれ考えずとにかく面白いと思ったものをぶちこむ、、」


つまり「やってる側も楽しむもの」


という感覚を重視した。真っ裸のネタ。

つまりは、こないだみた「ミニの箱舟」ライブ的な部分だ。

だからすべる確率は増加したが、ネタに個性がでたことと、自分の理想とする

プロレス的笑いに近づけた。



次に注目したのが

「酔っ払いのとる笑い」


俺はお酒を一滴も飲まない。だから、飲み会があるたびに、お酒の弱い人の

守り役をしていた。新入生や後輩が無理に飲まされると会社では「身分上」「空気上」飲まなきゃ

いけないわけだが、、それを守れるのは「年長」の義務だと思ったからだ。

だからといって、飲み会という場自体は好きだったし、

「よっぱらい」のツッコミやらなんやらしてる過程で、、思ったことそれは、


「なんで酔っ払いのボケはこんなに面白いだろう。」


別に大喜利的に知的に面白いわけではないが、偶然的に大喜利的に

面白かったりする。  


原因は「適当である、考えてボケない、言いたいこといってる」からこそ

「普段やっている学んだものではないボケ」が見られる

斬新さ。


同時に「演技が自然」、、なぜならそもそも演技ではないからだ。


ハナにつかない。

作り物じゃないから。


このときに思った


「酔っ払いのボケの面白さを、、計画的に編み出したい」、、


酔っぱらっていない「頭の状態」で、「酔っ払いの破壊力」、、を出す。


これは俺にとっては、すごく力強いヒントだった。

俺は生まれながら「演技力がない」ことはものすごくコンプレックスだった。


ものまねをしても何にも似てないし

演技をしても大根で目が泳ぐし

バイトの面接で、実演してみて、といわれててやれば

「何かコントをしているみたい」といわれるしまつ



お笑い=演技力は必要という考えかたは固定観念であったのだが、

このおかげで思いついた理論は 


演技力を中途半端に、30とか40にして、

「あの人演技へたくそねー」といわれるくらいなら


あえて、、0まで引き下げて、、「自分自身」でお笑いの世界に

出演する

「自分自身をそのまま使う」、

、イトセルフという技法があったことに気づいた。


コンビニの店員の演技をするのではなく

コンビニの店員のバイトをしている自分の演技を

する



この感覚。。そしてもう一つ酔っ払いから学んだ


「お笑い1.5倍理論」


お笑いのコントなどというものは、すべてが非現実というわけではない。


もしもコンビニの店員が宇宙人だったら、となると非現実だが

もしもコンビニの店員のかつぜつが悪かったら ならギリギリ現実的だ


「ハナにつかないネタを作る」秘訣に、


この酔っ払いの 1.5倍理論。


「お酒を飲むと、1.5倍大胆になり、強気になる」


みたいな部分を見て、学んだ。

お酒をのんだからといって「空が飛べるようになるわけではない」「超能力がでるわけじゃない」

でも「お酒を飲んだ人が面白いのは、あくまでそこにある人間の材料で面白い」のである。


お酒を呑む人がおもしろいのは「発想よりもむしろその「ハナにつかない」という演技であることに

注目すれば、、そこから














といったふうに



「お笑いの見えない技法」はずっと続けていけば、本が5冊くらい、かけるくらい

の量があるし、、どこにでも新しいことへのヒントは眠っている。


ブログでも去年ぐらいから唱えてきた 


正統派、シュールにつぐ、第三の技法、DEKADANのときに

試運転してみたものだが、いわゆる

アバンチュール改め、アバンストラッシュの芸風(

驚かせること・インパクトメインの芸風)のネタの欠点や、

上手に使いこなせるための条件など、また一年生にそれを与えてはいけない、

理由など、、さらには入院中にの日記で思いついた第4、第5の技法のヒントも。





語りたいことは無限にある。



たださっきいったとおり、「自然の摂理」を犯してはいけない気がするし、


「お笑いこそ定義してはいけないものだから」

俺にとってもそれを探求してくのがまだまだ楽しみであるから、

教科書を作ってはいけない気がするし、



手品の種をあかす「仕事」よりは

新しい「手品」を編み出したいのが、そりゃ性分ってもんだし、




「鉄板」は作らないが「切り札」はもっているべき、、これが俺の絶対ポリシー。

だから「手の内など明かすつもりはない」


所詮、年を老いても、俺はいつまでもファイター。

そんなことを最近思うようになった



福島から帰ってきたら、大学お笑いがどうなってるかも楽しみだし、

俺もぜんぜん思いも付かない、「すっごいアイデア、発想、笑いのとりかた」

が沸き起こる場、それが「大学生お笑い」だなって信じている

のでこれからもどんどん発展していってほしいなぁ。


難点は面白くなりすぎて、プロになりたくなっちゃう輩が多くなって

結果としてニートが増えてしまった場合、、


「あのニート」が「ニート仲間を増やそうとしている」といわれたら、怖いので


とんずらーーーwww

なんてね