平等に 毎日を愛したい。



以前、mixiにくっついてるゲーム(ピコピコミクシィ)で

「暗算四則演算ゲーム」にはまって、、


朝の7時におきて、夜22時まで 飯も食わずに

それやって眠ってしまった一日があった。


まあ40万人中4位という自慢の結果だが、代償はあまりに大きい。


あの日がいつだったか思い出したい、、そしてなぜあんなに頑張ったのか

意義を思い出した。


「努力」の限界をためしたかったし漠然とした「ニートへの不安」だったのだろうと思う。


「自信の喪失」は

「ニート」「夢追いフリーター」にとってあまりにも痛すぎる現実だ。


なんにしてもそうだ。勉強、スポーツ、お笑い、


「自信を粉々にされた人間の行動は=別の自信ある分野、次に自信ある分野に逃げこむ」


しかし第一希望は追い求めたい。だとしたら

「自信はそこなってはいけない」


しかし皮肉にも「才能」はふたをあけてみないとわからない。


「潜在能力にあふれた人間」が


「それの覚醒段階前に、発展前に」


「敗北で大きく自信を損なって、、脱落していくケース」をよくみかける。



それもまた運命と思うしかないが、、


「自分のマックス」を最高の場でぶつけられるほど「ラッキー」な展開はあまりない。

だからこそ時折


「才能の確認」をしたくなる。


じゃないと不安になる、、それが弱い生物ゆえの考え方。


才能とポテンシャルが簡単に数値化されるとむなしくなる、

全ポケモンのLV99になったときのステータスの数値みて 序列を比べることほど

残酷なことはない。


「知りたいけど知りたくないポテンシャル」


このパラドックスによく悩まされる。


挫折の果てに


「ポテンシャルすら成長する」という「幻想」を信じつづけてりゃいい

という


病的な防衛術を持つ俺ならば耐性があるが


知り合いや後輩が「自信を喪失する姿はなるたけみたくないもんだ」




そんなことを思いながら、

今日


朝起きてからしている行動といえば



ミスチルの作業用音楽を聴き、


その後は新開拓という意味で

大学生に大人気というが、気持ち悪そうなので 毛嫌いしていた


ラッドウィンプスだかと、9Mパラサイトヴィレッジだがと、、 語感が似てるし解散が決まったので RUG FIARを

聴きながら


男受け面白ブロガーの

simonetazawaさんの ブログとtwitterの過去ログをさかのぼって見続けているが

なんと膨大なネタの量。どんだけ時間かかってんだろうな。尊敬するな~

いっそ本にしてくれてお金出してゆっくり買いたいなぁ。


小中高、図書委員の俺としては、いまさらながらやはり「ディスプレイ」よりも「紙」で読みたいもんだ。



こうして今日はこのまま終わるだろうが、  




これもまた「よい一日」



毎日はスペシャル。毎日はスペシャル。

everyday is a special day 



とはよくいったもんだ