発信コミュニケーション

発信コミュニケーション

考えたことをためていきます。

書くことの効用


わたしにとって書くことの効用はふたつある気がしている。

ひとつは、言葉にすることによって自分のあたまの中が整理されること。
混乱していたのがおさまったり、悩んでるときだったらいい考えがうかんだりとか。

ふたつめは、なかなか普段の生活では伝えられないことをひとに伝えられる可能性があること。
わたしは自分のことはなすのにがてだし、誰かを食事にさそうことすらためらってしまうけど
だけど本当はもっとひとのことを知りたいし、わたしのことも知ってほしい。
だから、発信コミュニケーション。
会話(になりうるもの)だと思ってかいてゆこうとおもいます。




  「こういうのはしょせん本当の会話じゃない」という意見もあるだろうが
  読む相手がいなかったら書き出さなかっただろう
  いつか 返ってくる人の声を想いながら おれは書いている 

  CHIPHER 11 ジェイクのことば


まったく、同感!

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もう3週間くらい連続です。必ず雨です。


なんかさ、やっぱり一人はさみしいし。
私の大事なものは全部北海道にあるのに
なんでこっちきたんだろう、とか。
来たらきたで、やっぱりこっちにも大事なものが少しはできるだろうし、
でも大事なものが増えたら
その分さみしいこととか悲しいことも増えるしさ。
そうゆうことわかってるのになんで来たんだろうとか。
考えちゃうんだよね。

でも同じものをずっと同じように大事に思える保障なんてどこにもなくて、
それって悲しいけど仕方ないし、あたりまえだし

たとえば2つの道があるときに
どっちを選ぶか迷っても
きっとどっちの道にもいいことも悪いこともあって、
どっちか一つを選んだとして
もしなにか悪いことがおこったら、
もう片方にしとけばよかったって、絶対思うよね。

だけど、
選ばなかったことを後悔しても
選んだことは後悔しないように
そうやっていきたい。
いつもそのときに一番いいと思った道を選んで
選ばなかったらなれた自分に負けないように。


。。。むずかしいなー。
まぁとりあえず明日もがんばります。
遅刻しないように。

ここ数年のひかかっている言葉めも



・いつから自分は自分になったんだろうって思うこと、ない?
(夜中のグラウンドで友だちが)

・自分も同じようなことをよく考えるし、似たようなことを考えてるなーって感じることが最近多いんです。
それなのに、なんでよのなかはよくならないんでしょうね
(授業のコメントシートに友だちが)

・人間は変わることはできない。けど、変わったように見せることはできる
(モスでお茶中に上司が)


・わかり合おうなんて大それたこと。想いは通じ合うことはなく、すれ違う。わかり合っているように見えても、それは一方通行想いがたまたま交錯しているように見えるだけ。伝わらなくて当然なのだ。それでも、伝えたいと願うことを止めるべきではない。だってそこには、ひとつの真実ではなく、ふたつの真実があるだけなのだから。
理解したい。理解されたい。わかり合いたい。そして、繋がりたい。根源的に希求する。それは、遺伝子に組み込まれた生まれついての病だ。決して治ることはない。絶望的で、切実で、でも、だからこそ、ときに希望をもはらむ。伝えたい想い、ただそれだけを失わないために日々は紡がれていく。
(ジャパンvol308読者レビューより)