午前の仕事から帰宅すると、木綿さんは水玉さんの用意してくれた「麦秋の頃」のロング缶とデュラレックスの中くらいのグラスを手にテーブルにつく。六月が終わろうとしている。重苦しく曇った、湿度の高い日が多い。ここのところお気に入りのあては冷や奴だ。かつおぶしと青ネギを乗せて醤油をかけて食べる。豆腐のまったりした味を、ビール系の飲み物の切れが消し去って行く瞬間の味が最高だと木綿さんは思っている。「麦秋の頃」は何年か前に出たいわゆる第三のビールで、本物の缶ビールの半値くらいだがうまい。若い頃からビールの味にはうるさくて、あれはいやこれは嫌いとほとんどのビールにだめ出しをして来たが、安い「麦秋の頃」はとても気に入って他には目もくれずに飲み続けている。もっともそれは、うまい、より、安い、により価値を置いた結果だったかも知れない。もともと木綿さんはなんにせよ気に入ったものには鷹揚にお金を払う人だったが、あのことがあって以来人が変わったように、とまでは言えないものの、多少のしまり屋になった。そのことを、妻の水玉さんはとてもいいことだけどちょっと気の毒でもあると思っている。以前はそうたくさんの給料をもらっている訳でもないのに好きな小説を多いと月に十冊くらい買ったりして、収納場所にも困るし買うのを控えてくれるように頼んだりしたこともあった。それが、年に三、四冊も買えば多い方という今の木綿さんを目にするとなんだかかわいそうな気もする。それに、木綿さんはほんの少ししか本を読まなくなった。予約して何ヶ月か待って順番が回って来て図書館から借りた本も、返却期限まで一ページも読まずに返したりしているようだ。時間が無くて、と言い訳する。確かに時間も無いんだろうけど本当はもっと別の何かが無くなったせいじゃないかと水玉さんはぼんやり考える。
木綿さんは白ネギの文化で育った。焼き鳥屋のいかだ焼きなんかも大好物だし、冷や奴にしても独身の頃は、豆腐一丁に白ネギを丸一本刻んで載せてそれをつまみにビールを飲んだ。でも水玉さんがはるばる嫁にやって来たのは青ネギの文化圏からであり、彼女は白ネギの強い香りを好まなかった。それでも夫が好きだと言うので十年以上もの間白ネギを刻み続け、自分は食べないんだから別に構わないとずっと思っていた。転機が訪れたのはふたりの間に生まれた息子の孤珠が食べ盛りを迎えた頃だった。毎年夏休みになると、水玉さんは孤珠を連れて数週間帰省する。そこには水玉さんの両親と、少し離れたところに住む姉夫婦とふたりの甥がいる。帰省の間ほとんどの食事を祖父母や伯父伯母、いとこたちと共にする孤珠はすっかり青ネギ文化の人になり、白ネギの強い香りを嫌うようになった。東京育ちでありながら、土地の言葉をそこに住む人たちと見まごうばかり巧みに話す孤珠は、もしかしたら東京より母の故郷により親近感を持っているのかも知れない。いずれにせよ孤珠は母に、東京でも青ネギを使うことを求めるようになり母もそれに従った。最初のうち木綿さんの分と孤珠の分とネギを使い分けていたが、いつしか青ネギで一本化されるようになった。そうなると木綿さんとしても、子供が優先されるのは仕方ないことだったし、妻も青ネギなら食べられるので、自分のためだけに白ネギを切ってもらうのも申し訳ないように思われて、黙って青ネギを口にすることにした。薄味になれると濃い味がしんどく感じられるように、やがて木綿さんも青ネギの細やかな感じに慣れ、白ネギの強さがきつくなって行った。今では大好物のラーメンにも、朝食によく食べる納豆にも、昼の一杯の友の冷や奴にも青ネギを使っている。
