9月9日おはようございます

 

 

 

夫の危篤の知らせを聞いたのは2

年前の今日

 

息子とんちゃんのメラノーマ生検の件で静岡こども病院に行っていた時でした。

 

 

 

 危篤

 

 

診察室で名前を呼ばれましたが「夫が危篤状態なのですみません」と言い

 

私の姉と妹に連絡しました。妹はすぐに仕事を早退して、姉の職場へ行き知らせてくれました。

 

そして2人はとんちゃんを家で交代しながら見てくれました。

そのおかげで私はがんセンターへ向かい、夫を見守る事ができたのでした。

 

重度知的障害をもつ自閉症の息子を抱えていた私は

姉妹の協力がなければ何一つ出来ない状態でした。

 

9/9がんセンターからの眺め

 

 

 

 やっと会えたけれど

 

ドアの向こうには痩せた夫がベッドに横になっていました。まだ少し起き上がる力もあり(危篤と言われたけれど)きっとまだ大丈夫と思いました。

看護師さんから、先程シャワーを浴びたんですよ、と聞いたのでそんな元気があるのなら夫が数時間後に死ぬなんて思っていませんでした。

 

 

 

 

 

 売店で​簡易ベッドを借りる意味

コロナ禍で面会もほとんどできないままでした。危篤になる数日前には一時退院に向けて胸に埋め込んだ点滴ポートへの点滴のやり方を学びに病室へ通う許可が出ました。

 

けれど私の予想とは大きく違いました。会えた時の夫の姿の変わり様にひどく動揺し

号泣してしまいました。

夫は小さな声で「ダイジョウブ」と何度も言って頭を撫でてくれました。

暖かくて大きくて白くて綺麗な手でした。痩せ細り結婚指輪も外れてしまうからと引き出しに入っていました。

 

 

がんセンターの売店には簡易ベッドのレンタルがあります。何度かレンタル手続きしている人を見かけた事がありました。その時の私は

(いいな、ベッドを借りて過ごせるなんて)と思っていました。

 

ベッドを借りる意味、それは危篤。レンタル期間は必ず一泊のみ。ということを後に自分の番が回ってきて知りました。

 

 

 

 

 ​I can't go on

その時の私は死にゆく状態に無知でした。

危篤の状態の見分けかたには色々あるようですが、尿が数日間ほとんど出なくなるそうです。もう、死ぬ間際にはその機能も働かなくなるという事でしょうか。

夫は酸素マスクを着けて肩で息を吸いながら言いました。

 

 

 

 

 

 ​あの時に戻れるなら

もしあの時に戻れるなら、ずっと手を握り

死にゆく夫の苦しみを分かち合いながら不安をなくしてあげたい。体の苦しみは取り去れなくても、せめて安らかな気持ちで送り出してあげたい。

あの時の私はただ泣くだけ、不安でオロオロするだけでした。点滴が終わったあとのクレンメを閉じる事すら分からなくて出来なかった。

ただ夫が死ぬ事が怖くて、残されて1人になるのが怖かった。自分の事しか考えてなかったように思います。

 

 

 

 

 

 ​生きるということは食べるという事

 

夫が一切物を食べる事ができなくなったとのは死ぬ六ヶ月まえ。癌の摘出手術後、皮膚筋炎という合併症になり急に全身の筋力が落ちはじめました。

食べ物が喉に詰まり、気管支に入る様になりました。そして肺炎も繰り返しました。そこから転がるように悪くなっていき、亡くなるまで6ヶ月もの間食べ物も飲み物も口から摂れなくなってしまいました。


経管栄養を摂る夫。胃に穴を開けて栄養を取りました。しかし腹水が溜まりそれも不可能になり、最後はほんの少しの点滴になりました。

そして最後の望み事を叶えるのか、医師の許可のもと大好きな飲み物を買って口に含み、飲み込まず吐き出す

(飲み込むと大きくむせ肺炎になるため)そんなほんの小さな喜びを幸せそうに教えてくれました。夫は外国人だからなのか、常にポジティブな人でした。

その前向きの考え方、物事の切り替えに日本人の私はいつも驚きでした。

 

 

 

人は食べないと死んでしまう。あたりまえだけど、食べれたなら辛い癌闘病でもわずかな希望は見えたかもしれません。

 

 

 

 無言の帰宅

 

 

一晩が明け、夫の亡骸が数か月ぶりに家へ帰ってきました

 

息子は目覚めると横に(安置されている)ダディが海外出張から家に帰って来て、寝ているかのようにみえたのでしょう、喜んで夫の冷えた体に寄り添って一緒の布団に入りました。ドライアイスですでに冷たくなっていました。

 

どんなにとんちゃんが布団の中バタバタ喜んでもダディは動かず。とんちゃんのキャッキャッというはしゃいだ声だけが聞こえ、わたしは辛くなり泣きました。

 

 

 

 障害児を守り生きていく

 

私は生きていかなければならない。この子を守っていかなければならない。でも出来るならこのまま何も食べないで死んでしまいたい。そんな風に思いました。真っ暗闇に落とされてしまったようでした。

 

 

 

ふとみると夫の顔はとても美しく安らいで、苦しみから解き放たれて少し若く見えました。

もう苦しくないんだよね。でもね、私はあなたを失ってとても苦しいよ。

 

そこから、あちこちに連絡すること、葬儀社など決めること等いっぱい。眠る暇もなく考える余裕などなく決めていくこととなりました。

 

 

 

 長くなりすみません。

今日は一日涙が止まりません。自分に向き合っていこうと思います。

 

お読みいただきありがとうございました。