何日か前に、誰かがfacebookでシェアしてた記事。

 

私の中である程度解決してたことなので、

すっかり忘れてたんだけど(ノ_-。)忘れん坊

 

「死にたい」と初めて思ったのが、小学校6年生の時。

同級生の男の子が事故で亡くなったのね。

 

で、作文を書かされたわけ。

その時私は「私も死にたいと思いました」って書いた。

前後の文脈忘れたけど、先生に「そんなこと言ってはいけません」って赤入れられてて。

「は?(# ゚Д゚) ムッカー」って思った(笑)

 

子供の私にとっては、死は身近ではなく、

年をとったら死ぬもんだと思ってたの。

でも、同級生が亡くなったことで

「死んでもいいんだ!」と思ったわけだ。

 

死はいつでも赦されることなんだって。

思ったんだと思う。多分。

 

それからもちょいちょい死にたいと思ってた。

実際に命を絶とうとしたのは、うつ病で療養中の時だけ。

 

だから、何故「死にたい」と思うのか不思議だった。

 

で、うつ病の療養で読書しまくった時、この本と出会った。

内容忘れちゃったけど、

「死にたいではなく、消えたいという気持ち」的なことが書いてあって。

 

読んだ時「そー!そうなの!」ってヽ(*>∀<*)ノ

「死にたい=命を絶ちたい」ではないのよ。

本当は違う感情なのよ。

 

寂しいと言ってはいけない。

疲れたと言ってはいけない。

泣きたいと言ってはいけない。

助けてと言ってはいけない。

などなど…。

 

色んな感情にフタをした結果、

最後に残ったのは「死にたい」という感情。

 

「死にたいと思ってはいけない」って言う人もいるけど、

死は最後に赦された人としての権利だと思ってて。

そこ赦されなかったらどうすんのよ?って。

 

死が不幸なことなのかどうかは、死んだ人にしかわからない。

残された人は、寂しいかもしれないけど。

 

最近でも死にたいと思うことはあるけど、

実際には違う感情だとわかっているので、

疲れてるのかな~、寂しいのかな~って自分を労ってる。

 

「死にたい=命を絶ちたい」ではないと気づくと、

生きるのが少し楽になったよって話でした(*´ω`*)