小学三年生の時
両親は離婚して

父には父の母親(私の祖母)の紹介で
再婚相手としてお付き合いしてる人が
妊娠したので
中々踏み切れなかった離婚をせざるを得ない状況になったわけで

母は早くから離婚したかったので
手続きは簡単だったと思う

その日
三人で
ジンギスカンを食べに行き
ニンニク臭い溝のあるドーム型で焼かれた
硬いラム肉を食べた記憶がある
父も母も笑顔だった
父は母と離婚したくなかったけれど
会えて嬉しかったのだと思う
私はニンニク臭い硬いジンギスカンは
美味しい食べ物ではないと思った
父は母に注いでもらう
ビールが美味しかったらしい

その日
母と間借りしてた家に帰ると
嫉妬した母の男と言い争いして
殴られていた
母は強気で言い返していた
だから
男は殴った

『離縁する』と母が叫んでいた

次の日は
何事もなかったようになっていた

父も母も
その男も

その後

57歳の私が離婚したことは
知らない

私は大声で怒鳴ったり
大きな音を立てる人は苦手だ
男女関係なく
癇癪持ちは苦手だ
都合の悪いことは覚えてないと
怒鳴り声で言われると
呆れて声も出なくなる
過呼吸になって動悸がする
それにアルコールが絡んでくると
どうしようもない
酒乱だと認めない人とは離婚した
依存症でもあると思う
現在も続いてた



私に出来た親孝行だと思ってる
その時は
まだ結婚していた

男のお骨も
男と瓜二つの顔した実子に引き取ってもらった
両親も見送り
舅も姑も見送った


初孫の誕生も見た

それで役割は終わったと感じ

1年後の暮れ離婚届の用紙を
役所に貰いに行き
翌年離婚した


私が
親孝行したのは
親を見送ることが出来たこと
それくらいしかない


9月は母の命日の月

だからこそ
お墓の草取りしたいのです
熊本帰省せんといかんのです

兄には報告するだけです
兄の胸の内は長い年月複雑なままです
兄は熊本で育ってないのです
時々遊びに来てただけ
母に育てられたのは5歳まで

考えると
胸が苦しくなり
胃が痛くなります

9月は発作の季節
すとーんと落ちていきます
急勾配の壁を這い上がる
落ちていく
這い上がる
落ちていく


誰にも話せないことを
ブログに書くことで
救われています

それほど強くなく
それほど弱くない
自分と向き合う日々