三河武士由来の源氏物語写本 公開


 Xで気になる情報がキョロキョロ



室町時代後期に書かれたとされる源氏物語の写本

静岡県湖西市鷲津の本興寺に所蔵とのことひらめき



大河ドラマ「光る君へ」の放送に合わせ

12月末まで寺の大書院で公開だそうにっこり


拝観料は大人300円 中学生以下150円

時間は午前9時半〜午後4時(午後3時半最終入場)




寺によると書き写したのは

連歌師 猪苗代兼載(けんさい)(1452〜1510年)




 連歌師というのは初めて聞きました知らんぷり

 

連歌指導を生業とする人がいたんですね。


和歌は「五・七・五・七・七」と一人の人が詠むもので、この和歌を連ねて変形させたバージョンが「連歌」だそう。

大体5名~10名ほどで詠むのが一般的で50韻あるいは100韻続けることが多いよう知らんぷり

複数人で詠む連歌は、「他人の句を受けてつなげる」というルールがあるようで難易度高そう💦


現代でいうワードゲームみたいな感じかな?
私が1番苦手なジャンルですね💧(語彙力ゼロ)

現代のおふざけゲームならともかく、戦国時代は政治的な意味合いもありそう……。

歌の解釈も出来ず上手く返せないようでは、なんだこの無能と思われるでしょうね昇天 雅が分からない罰だ!(by歌仙)



出陣連歌というものもあり、合戦へと出向く前に連歌を詠んで神社に奉納する連歌会(れんがえ)があったそうです。


この時代の武士にとって連歌はとても大切なものだったのでしょうねキョロキョロ




話は源氏物語の写本に戻りますが、連歌師 猪苗代兼載(けんさい)が書き写した写本は兼載の子孫から埼玉県にいた武士の成田左金吾へ受け継がれ、左金吾の連歌仲間の鵜殿宗為(そうい)を通して本興寺に寄進されたとのことひらめき


鵜殿氏は三河地方の武士で、本興寺への信仰が厚かったそうです知らんぷりへー


色んな人々の手を渡って現在まで残っているようですが、凄いですねキョロキョロよく残ってたなー


鵜殿宗為には複数の連歌仲間がおり源氏物語を表現の参考にしたのではないかと書かれています✏️


私も源氏物語を読み進めておりますが、歌の表現の美しさに:( ;´꒳`;):ヒェッとなります。物語の内容は破天荒ですけど綺麗なんですよね、歌が。


あんな歌が読めたらカッコイイですよねひらめき


合戦前にカッコイイ歌読まれたら士気爆上がりですよ。現代でも試合の前に読んだらいいのかもしれませんね指差しメラメラ


連歌師は出陣連歌など進行役も行っていて、京都の北野天満宮にある「連歌会所(れんがかいしょ)」の奉行になった宗祇(そうぎ)は室町幕府9代将軍足利義尚(よしひさ)の指導もしたそうです。



戦の時代に

歌で生き抜いた人がいたんですねキョロキョロ

各地を渡り歩く情報屋としての役割もあったそう


どうする家康に歩き巫女が登場しましたが

あれみたいなものかな?


戦国時代とはいえ武芸だけやっていれば良いわけではなく和歌や茶道など色んな事が出来なければいけなかったようで、源氏物語は多くの戦国武将が読んでいたと言われており連歌師も重宝されたんでしょうね。


筋肉で物事を考えるのはお里が知れるだそうですよ昇天


無骨なイメージの強い三河武士も源氏物語を読んでいたようなので私も勉強しなければなりませんねにっこり辞世の句ぐらい詠めるように





静岡県湖西市はまだ訪れたことがないです

行けるかな~知らんぷり