本日は仕事が休みだったので朝からバイクで遠出しようと思っていたんですが、娘から

 

「お父さん休みやろ。あれして、これして、ついでにそれもやっといて!!」

 

と指令が下りまして、お父さんの密かな計画は見事に消えました(泣)

 

娘からの指示が完了したのが昼前で、その時間から遠出する気にもなれず近場に変更です。

 

足もバイクから自転車に変えて、以前、ポタリング先を検索していたときに見つけて近い内に行こうと思っていた場所にGOです。

 

行先は近隣の市である大東市と東大阪市にある大阪城築城残石

 

 

大阪城築城残石ってのは大阪城築城の際に用いられる予定だった石が、一旦切り出したけど使われなかった、もしくは途中まで運んだけど放置されたなどの理由で、実際には大阪城まで辿り着けなかった石のことです。

 

まずは大東市(一部は寝屋川市)にある深北緑地内にある大阪城 築城残石の残念石群

 

 

緑地の東側には生駒山地が連なり、写真右端には生駒山頂のアンテナ群が見えます。

 

 

案内板には残念石の表示はありません。

 

 

残念石まで辿り着きました。

一応、残念石の説明版はありますが、表面がかなり劣化していて文字が読めません。

 

 

 

 

築城残石の残念石群ということで、3~4個ほど点在してましたが、事前に調べておかないと単なる大きな石としか思わないでしょうね。

 

 

一番大きい石でこのサイズ感です。

地面から下にどの程度埋まっているのかは分かりませんけどね。

 

公園内を東大阪市目指して南下していると黒猫が座っていたので写真を撮ろうとしたら

 

 

逃げるどころか近寄ってきました。

で、目の前まで来るとニャ~と鳴きながら食べ物でもねだる様な仕草を。

 

「なんにも持ってないねん。ゴメンな」


と慌てて離れましたよ(^^;

 

さて、東大阪市に入り、大阪と奈良を結ぶ幹線の一つである阪奈道路の奈良行路線を過ぎて、旧170号線から少し東に入ったところにもう一か所の大阪城築城残石があります。

 

 

手前には春日神社とメジャーな名称である神社が。

 

 

戸建住宅が立ち並ぶ道を進みます。

 

 

阪奈道路の上りと下りの両方が見える場所になります。

阪奈道路の大阪側は基本的に別ルートになっているので同時に両方が見える場所は少ないです。

 

分かり辛いけど、白いガードレールが奈良行へ青と黄色の近鉄バスが走っている場所が大阪行きのルートです。

 

 

個人の住宅の横にありました。

というか、石の方が先にあって、後から住宅が建ったんですけどね。

 

 

『大阪城築城時、石垣として運ばれるため大名等の刻印を打っていましたが、そのまま残され残念石となった物です。

刻印から見てこの石は元和6年(1620年)から寛永6年(1629年)までに行われた徳川期の大坂城修築時のもののようです。』

 

とのこと。

 

 

昔は海岸線が現在よりも東側まで迫っており、それにともなって河川も近かったため、それを利用して運んだらしいです。

 

こうした残石は西日本各地にあるようですが、そんな遠方から運ぶだけでも凄い労力だったろうし、それを成し得た太閤秀吉の権力、その後の徳川家康の力が如何に凄かったかを感じる遺物ですね。

 

 

発 : 午後       0:30 

 

着 : 午後       3:10

 

走行距離       24 Km

 

今日ぐらいの気温でも自転車で走ってから、見学等で自転車を降りて歩いていると汗をかきますね。

 

さて、今度の土日共に外へ出る予定があるんですけど、雨は大丈夫かな?(^^;