今日は近場をブラブラと走る本来のポタリングをしてきました。
途中で成人式に遭遇!!
我が家の子供達もつい先日参加したと思っていたけど、娘は母親に、息子も社会人として働くようになって数年、ほんと月日の経つのは早いねぇ~
さて、本日はタイトルにもあるように守口市内に残る豊臣秀吉が諸大名に命じて作らせた『文禄堤』を見に行きます。
はじめに訪れたのは 難宗寺
明治天皇が宿泊されたお寺とのこと。
難宗寺の北東角には「御行在所」 「すぐ守口宿」などの石碑が建っています。
そう、この近くには京街道の宿場である守口宿があったんです。
道路を挟んで反対側には盛泉寺があります。
大阪遷都の計画があったんですねぇ~
「大阪維新の会」が言う「大阪都」とは違う、本当の首都を大阪にってこと。
となれば、標準語が大阪弁に?!
まぼろしで良かったのかも(笑)
それでは本題の『文禄堤』へ参りましょう。
今回は残っている堤の東側から探索していきます。
国道1号線との交差点から少し進んだところに石碑や案内看板がありますが、写真の地図では南北が逆転していて、地図の下側に淀川が流れています。
所々に昔の風情を残した建物が。
堤のいうことで、下の道に降りるにはこうした階段や坂を通ることになります。
正面は京阪電車の守口市駅です。 メインの改札口は写真のやや左側になりますが、昔は逆に右側にあるビルがメインのステーションビルでした。
そのビルからは今でも駅へ連絡できますが、駅前ロータリーにも面してなくて、やや寂れた感じになってます。
駅とは反対側の眺め。 正面の白いビルは元サンヨー電気本社ビルで現在は守口市役所です。
写真を撮った『本町橋』を下から眺めています。 ってことは私の背中側は守口市駅です。
東海道五十三次ならぬ、ここは東海道五十七次の守口宿。
終点の大阪 高麗橋への最後の宿場になってましたとさ。
これは旧ターミナルビルから国道1号線へと向かう道を跨ぐ『守居橋』
一旦、国道1号線まで出て、しばらく西に進むと1号線と京阪電車 土居駅を結ぶ『旭通商店街』
この近くに親戚が住んでいたこともあり、守口駅や旭通商店街などは子供の頃からうろついていたエリアです。
商店街に人気が無いのは休日の午前中だからでしょうね。
駅間の距離が異様に短く、駅から隣の駅に着く電車が見えるという笑い話のような実話のある京阪 土居駅 ~ 滝井駅ですが、その滝井駅前にある うどん屋 へ向かいます。
ここは友人から薦められていて、自転車でポタるときに行ってみようと思ってました。
『踊るうどん』と言うのが店の名前(^^;
私は まいたけ天肉うどん を頂きました。
その名のとおり、まいたけの天ぷらと甘く煮込んだ牛肉が乗ったうどん。
晴れて暖かくなったとは言え、やっぱり寒い中を自転車で走ってきたし、起きてから何も食べてなかったのでメッチャ美味かったですわ(^^)
うどん屋を出たら猫さんが寄って来ました。
首輪をしているし人懐っこいので飼い猫でしょう。
一通りナデナデしてお別れ(^^)
滝井駅の隣は千林駅
ここは商店街で有名です。
駅の改札を出た目の前の場所、今はドラッグストアになってますが、ここがあのダイエーの最初の店舗だったところ。
今はイオングループの子会社になってしまいましたが、私が若い頃はあちこちに店舗があり、凄い勢いのある会社でした。
その1号店があった場所ってことで、一時はここの賃貸料は凄い数字になってたらしいですよ。
この商店街にも母親に連れてこられた記憶がありますが、昼ごはんはいつもこの『力餅』のおはぎとカレーうどんでした(^^;
もう50年ほど前のことになりますが、お店は今も営業していて嬉しくなります。
「踊るうどん」で食べてなかったら、ここでおはぎとカレーうどんを食べていたことでしょう。
復路も京阪電車沿いに寝屋川に向かいます。
萱島駅の下にある萱島神社
御神木は大きな楠でホームの中央をぶち抜いています。
京阪の連立化の際に伐採されることになったのですが、市民からの要望で楠を残したまま駅を作り、全国的にも珍しい神社&駅となりました。
本日のポタリングレポートはこれで終了なんですが、途中でスーパーカブの本来の姿の見本のような車体を見つけたのでアップしておきます(^^)
荷台に積んだ黒いスチールケース、フロントのカゴ、ウインカー部分も覆う風防、これぞ働くカブってスタイルです(笑)
発 : 午前 9:30
着 : 午後 1:00
走行距離 29 Km