梅雨入りして初めての週末、台風も発生して日曜日は下り坂の予報だったので土曜日の朝から出掛けてきました。

 

目的は京都府木津川市~奈良県奈良市を走っていた『大仏鉄道』の遺構巡り。

 

大仏鉄道とは今から120年前の明治31年に開通した京都府の加茂駅と現在の奈良駅北1.1kmの所にあった「大仏駅」間を結ぶ8.8kmと、翌年に開通した奈良駅までを結ぶ当時の五大私鉄の内のひとつ「関西鉄道」(かんせいてつどう)が営業していた鉄道路線のことです。

 

でも、9年後には現在の木津経由の関西本線のルートが開業し、勾配のきついルートを走っていた大仏鉄道は廃止されました。

 

現在、線路跡などは残っていないものの橋脚やレンガ積みの隋道などの遺構が残存しており、それらを巡りながらのウォーキングやポタリングが楽しめるようです。

 

120年前にわずか9年間だけ走っていた鉄道、当時は朱色の蒸気機関車が大仏詣の客を運んで賑わったようですが、その記録もほとんど残っていないらしく、遺構から当時の状況を想像するのも一興かと(^^)

 

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ゴールデンウィークに木津川市が主催した大仏鉄道フェスタのパンフレット。

 

私がこれを見つけたのは5月だったのでフェスタ自体は終わってましたが、大仏鉄道には興味を引かれ、今回巡ってみようってことで出掛けたんですよ。

 

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今回はこのパンフレットの地図に沿って巡ってきました。

 

地図は木津川市内のみですが、鉄道ルートの終点は奈良駅になります。

 

ただ、奈良市に入ると遺構は無くて、解説用の看板とか記念碑的なものになるので、今回は『大仏駅』跡の公園を終点としました。

 

 

今回、いろいろ写真を撮りまくってたくさんアップしたので長いし、重たい記事になります。

 

 

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奈良に行く場合、特に今回の最初の目的地である木津川市へは国道163号線で行くのが最適なんですが、それはあの清滝峠を越えることに・・・

 

今回も峠全部を漕いで越えることは出来ませんでした(泣)

 

頂上手前の曲がりくねった部分は案外走れるんですけど、そこまでの坂でバテてしまうんですよ。

 

まぁ、13Kgの車重&小径タイヤの折りチャリってこともあるけど、もっと鍛えんとあきませんなぁ~(-_-;)

 

 

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国道163号線を走り、JR木津駅手前を左折し、府道47号線で木津川の左岸沿いを東に進みます。

 

JR加茂駅に到着!! 

きれいな駅ですが、乗降客は少なかったです。駅前ロータリーも閑散としてたし。

 

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ひとつめの遺構は駅の西側にあるレンガ積みのランプ小屋

 

機関車の前照灯や客室の照明用に使われていたランプ類の給油、保管用に使われていたとのこと。

 

大仏鉄道開業前の明治30年(1897年)建築ということなので、120年以上前の建物になります。

 

小屋自体は駅の敷地内にあるためこれ以上近づくことが出来ません。

駅に入って、ホームの端っこまで行けば正面からの写真も撮れるでしょうけどね。

 

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駅の東側に設置されてある動輪のモニュメント

 

これは平成19年に設置された新しいものです。

 

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動輪モニュメントから線路沿いに数百メートル行くと蒸気機関車C57が展示されています。

 

その優美な姿から「貴婦人」と呼ばれていたらしく、この車輌は昭和12年製とのこと。

ってことは、このSLも72年前のものなんですね。

 

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パンフレットの地図を見ながら進んでいきましたが、周りは田植えの終わった田んぼが広がっていました。

 

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このルートで間違いないのか半信半疑ながら進んでいきましたが、昨日の雨で道はグチャグチャで、ところどころ水が流れてます。

 

それでも進むと3枚目の写真のように草が生い茂った状態になり、その先に進むのが躊躇われるほど!!

 

ここは無理せず引き返すことに。

 

 

ウォーキングルートに平行して農作業の軽トラも走ってる農道があり、そこを進んでいくと

 

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観音寺橋台に到着

 

手前が大仏鉄道の観音寺橋台で、奥が現在も使われているJR関西本線の橋台です。

 

どちらもほぼ同じ年代に作られたもので、花崗岩を積んだものらしいです。

 

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先日の ねじりまんぽ もそうですけど、昔の構造物がそのまま現用の施設として使われているということに驚くし、感心します。

 

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同じく、ねじりまんぽ に貼られていた案内板と同じ内容のものがありました。

連絡先はまったく同じ番号でしたよ(^^;

 

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各遺構の横にはこうした案内図が設置されているのでわかりやすく、簡単な説明文もあるので有難いです。

 

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ルートも二股になった部分にはこうした案内があります。

 

これが無いと「こっちで大丈夫かな?」と思うような道もありましたからねぇ(笑)

 

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写真では木漏れ日の竹林って感じで、エエ雰囲気なんですけど、実際には足元は泥でグチャグチャ、上からは竹の葉についた雨粒が風に煽られて落ちてくるしで、ノンビリとしていられない状況でした(^^;

 

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鹿背山橋台に到着。 ここは完全な遺構ですね。

 

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跨いでいた水路?は今も利用されているんでしょうね。

 

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こういう案内図は本当に親切で判りやすいですね。

 

間違える人が多かったんかな?(笑)

 

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梶ヶ谷隋道に到着。 ここも農作業などに今でも使われているようです。

 

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反対側から。 「千と千尋の神隠し」にでてくる黄泉の国へのトンネルみたい(^^;

 

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ここは線路と直角に交差していたからか、ねじってないですね(^^)

 

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赤 橋に到着。

 

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反対側から。

 

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この赤橋も現在も「橋」として使われているようです。

 

上の写真の道路は120年前に朱色のSLが大仏詣の客を乗せて走っていた軌道敷きですね、きっと(^^)

 

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大仏鉄道の親会社、関西鉄道の社章のモニュメント

 

話は逸れますが、大阪在住の方ならご存知でしょうけどJR環状線は北は大阪駅、南は天王寺を結ぶその名のとおり、環状の路線ですが、道頓堀やグリコの看板で有名な難波付近に円(環状)の内側にポツンと入り込むような形でJR難波駅(旧湊町駅)があります。

 

この駅は元々、大仏鉄道の親会社である「関西鉄道」の大阪の始発駅だったんです。

 

環状線も線路も全てが国鉄のものではなかったんですけど、戦争などの影響から鉄道国有法が施行され、強大な私鉄は消えてしまったんですね。

 

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階段を降りろと言うので折りチャリを抱えて降りましたよ ┐(´~`;)┌

 

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松谷川隋道に到着。

 

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この隧道の上は市道44号線が通ってるようです。

 

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木津川市と奈良市との境近くの建物。

これは遺構ではありませんがバベルの塔みたいだったので(^^)

 

水道の配水地なんですね。 ってことはこの塔みたいな建物は貯水タンクか?

 

デザインのモチーフは竹の子らしいですよ。

 

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奈良市に入ってのひとつめの遺構跡

 

黒髪山トンネル跡

 

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元々はトンネルだったところを完全に削ってしまったんですね。

 

こういう形での遺構跡って説明されないとまったく判りませんわな。

 

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大仏駅跡の記念公園

 

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と言っても、普通の街中にある小さな公園の規模ですが。

 

 

ここで本日の『大仏鉄道』探訪のポタリングは終了です

 

あまりにも時間が経ち過ぎて、鉄道自体の面影は少なかったですけど、120年も前にたった9年間だけ走っていた幻の鉄道ってだけでもロマンを感じるし、それを理由にポタリングできたのが楽しかったですよ(^^)

 

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帰りは平城宮跡を通って朱雀門の前で1枚。

 

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判り辛いけど、店舗のガラスに映った自分の姿を(^^;

 

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発 : 午    7:00  

 

着 : 午後    2:50

 

走行距離  78 Km

 

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大仏鉄道巡りの動画

 

単なる張り合わせです(^^;

 

 

復路で清滝峠を下る動画

 

この勢いで下れるってことは、上りはそれだけキツイってことですわな(^^;