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一時に比べて気温も下がり、『クッソ暑い!!』というほどでもなくなりました。

 

これは大陸からの高気圧の影響らしく、台風が来る来週にはもっと下がる予報です。

 

そんな土曜日、早朝からまたポタりに行って来ました。

 

 

本日の目的地は京都。

 

京都の中でも幕末に活動した有名な人物と団体に関わりのある場所へ。

 

淀川CR~京都八幡木津自転車道で桂川沿いを嵐山目指して走り、国道9号線に出たところで9号線を東進。

 

 

最初の訪問地は

 

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壬生寺 表門

 

そう、ここは新撰組の屯所があったところ。

 

新撰組をご存じ無い方は少ないでしょうけど、簡単に説明すると

 

新選組は、江戸時代末期(幕末)に、京都において反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った武装組織である。

 

幕末の京都は政治の中心地であり、諸藩から尊王攘夷・倒幕運動の志士が集まり、従来から京都の治安維持にあたっていた京都所司代と京都町奉行だけでは防ぎきれないと判断した幕府は、清河八郎による献策で浪士組の結成を企図。

 

江戸で求人した後、京に移動した。しかし清河の演説でその本意(後述)を知った、近藤勇や芹沢鴨らが反発、京都守護職の会津藩主、松平容保の庇護のもと、新撰組として発足した。

同様の配下の京都見廻組が幕臣(旗本、御家人)で構成された正規組織であったのに対して、新選組は浪士(町人、農民身分を含む)で構成された「会津藩預かり」という非正規組織であった。

隊員数は、前身である壬生浪士組24名から発足し、新選組の最盛時には200名を超えた。任務は、京都で活動する不逞浪士や倒幕志士の捜索・捕縛、担当地域の巡察・警備、反乱の鎮圧などであった。その一方で、商家から強引に資金を提供させたり、隊の規則違反者を次々に粛清するなど内部抗争を繰り返した。

慶応3年(1867年)6月に幕臣に取り立てられる。翌年に戊辰戦争が始まると、旧幕府軍に従い転戦したが、同戦争終戦と共に解散した。

 

by ウィキペディア

 

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本堂

 

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壬生寺の全体図ですけど、敷地内には老人ホームなどもあり、今風の多角経営をしているんでしょうね。

 

ここで生活していた新撰組の隊士たちは150年後には上記のような施設が建ち、観光客が訪れているとは想像も出来なかったでしょうね。

 

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敷地内には『壬生狂言』が行われる 大念仏堂 があります。

 

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壬生寺を後にして次に向ったのは・・・

 

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阪急電車 京都線の始発駅、河原町。

 

この交差点を150mほど上ルと

 

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新撰組と並んで幕末で最もメジャーな人物である坂本龍馬

 

そして龍馬とその盟友である中岡慎太郎が暗殺された近江屋事件が起こった近江屋が有った場所。

 

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回転寿司の看板がなんとも・・・

 

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龍馬の写真がありますが、彼の目線の先の風景は上のようなもの。

 

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この道、北は下賀茂神社、南は国道24号線に繋がる河原町通りです。

 

まぁ、当時でも京都の街中だったであろう場所ですから、現在の状況もロマンとか歴史の流れを感じるような雰囲気では無いですね(^^;

 

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続いて訪れたのは近江屋跡から300mほど離れたところにある 池田屋跡

 

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今は海鮮居酒屋としての池田屋がありますが、幕末の池田屋と関係あるのか無いのか・・・?

 

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この池田屋は新撰組の名を京都中に轟かせた「池田屋事件」のあった場所です。

 

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ここも近江屋跡同様、街中で普通の店舗なので、興味の無い人にとってはまったく気付かないでしょうね。

 

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その後、鴨川の左岸を下って桂川との合流地点を目指します。

 

先日の豪雨で流された鴨川の護岸はまだ仮復旧の状態でした。

 

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それでも納涼床が並んでました。

 

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アオサギ・・・かな?

 

まったく動こうとしなかったけど、魚でも狙ってたのかも。

 

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テレビか何かの撮影か、舞妓さんを撮ってました。

 

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鴨川を跨ぐ阪神高速道路 京都線

 

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次に訪れたのは伏見区にある寺田屋

 

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ここでも龍馬が襲われた 『寺田屋遭難』 という出来事がありました。

 

この時は恋人?のお龍さんの機転で逃れられたとのこと。

 

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この界隈は竜馬通りって名前が付いてますが、こうした通りで人の名前が付いているのはここだけって案内板に書いてありました。

 

けど一昨年に行った鳥取県の水木しげるロードの個人名の付いた通りやけどなぁ・・・(^^;

 

 

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この通りを進んで右に曲がったところが寺田屋です。

 

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昭和、しかも前半の頃と思われる自転車屋さん。 風情がありますなぁ~(^^)

 

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さすが酒処 伏見です。 黄桜のカッパカントリー

 

黄桜のCMは色っぽいカッパのキャラクターが有名ですからね。

 

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酒蔵って雰囲気の施設でした。

 

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こちらは月桂冠の大倉記念館。

 

日本酒である月桂冠の歴史が見られる施設で売店はでは無料で入れますが、それ以外は有料。

 

下戸な私は入らずに外観だけでパスしました。

 

島本町の山崎にあるサントリー山崎蒸留所の見学でも、歩いているだけで気分が悪くなりましたからねぇ~(笑)

 

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先日買ったトレッキングシューズですが、早速使ってみました。

 

底が固くてペダルを漕ぐのにも適してましたよ。

 

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帰りは宇治川を下って、先週と同じコースでさくらであい館へ。

 

これまた先週と同じ抹茶アイスを(^^)

 

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発 : 午    7:30  

 

着 : 午後    2:40

 

走行距離   86 Km

 

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先週に比べて気温が3度以上低かったので汗の出方も全然違うし、疲れも少なかったです。

 

ま、お尻の痛みは相変わらずですけどね(^^;