神武東征上書き説 仮説提示 4 | 東之宮古墳 発掘写真集

東之宮古墳 発掘写真集

犬山市 白山平 東之宮古墳 覚え書 (前方後方墳)

 

 半島の諸国家(新羅・百済・高句麗と伽耶)は、倭国と同様に 奴隷制度許容社会。

 日本への漂着民や移民は、保持するスキルで選別され、中国・北魏と同様に 倭国は徒民政策を実施、馬飼育ノウハウ民は馬匹生産に敵した地域へ、同様に窯業生産スキル民は陶土と出荷に適した地域へ派遣された。

 この徒民政策で 倭国の文化水準が上がり、彼らα群層の地位も上昇、かれら伽耶・新羅系スキル移住民は、古墳時代後期の地域支配者の地位を得た。

 横穴式石室の構造において 

a主室に高句麗系の天井持ち送りを採用する地域、北部九州 キビ。 

b胴はり主室・時として副室も採用する地域(石室が長くなる)     九州 三河 

c両袖・もしくは片袖の主室、立柱区画で羨道部を区画をする地域。   畿内。

 

 これは 移民層の出自が深く関与。彼らは胡族文化の持ち主。

 

 彼らは アルファ群移住民、文字にも精通する人が混じり、大陸交渉の仲立ちをした。 

ただし地方の管理官と言えど いきなり在地支配者になった訳ではなく、在地支配者子女との婚姻で、旧弊風土を継承せざるを得ず、倭臭に従い 墓への氏名公表・墓碑はタブー。 

 

 古墳時代前期は双系社会。

地域の在地支配者・家長が女性という地域の場合、妻の家へ通う夫という立ち位置。妻の実家の権限が大きく、倭臭を保有する女系家族制度の中、様々なタブー(個人名の露出を好まない、文字に残す風土が無い、たぶんコトダマ思想も)

 かかる風土の中で 男子、特に移住民が増加してきた古墳時代中期以降、帰化男子は 少しつづ男姓の立ち位置を向上させた。

それでも 熊本・向井野田古墳が示すように古墳時代中期 家父長権を女性が有していた地域も存在。

 

 すなわち 双系社会の倭国に移住してきた 騎馬文化の人々は当初、少数派。

この倭臭・社会構造(男女同権)が、男系の騎馬文化の人々から 順次 社会変革された。

 室町期ようやく、女性への財産相続権が喪失。それまでは 家長権は 男子に限定されない。

 

 旧日本帝国の男系社会・社会制度は 海外派兵という戦争を引き起こした。 

21世紀の日本も同様 男子優遇社会システムを続けることは、平和国家建設への阻害要因。

 

 

 倭国は日本国に家系図を簒奪された。日本国による倭国系図の改変作為が完璧ではないので記紀の記載では 男子と女子が混乱。 

 小国 日本は倭国連合を順次 攻略。部族連合倭国が統一されて、日本国が出来た。 

小国日本による 倭国への統一過程で、磐井の乱や白村江派兵や唐の進駐軍が来て、文字の文化が 浸透していった。 

 

磐井 新羅へ応援要請

天智 百済派

  中間に 唐軍進駐軍  高取城で奈良盆地の監視

天武 ベータ群派

桓武 百済派

 

 

最近 NHKにて 

DNA解析はどこまで古い時代まで 解析できるのか?

というテーマのものが放映。

 

 仮に このノウハウを(天皇陵を含めた)古墳の発掘へ利用すると、同じモンゴロイド系?でも もっと精密な解析が可能となり、支配者層のDNAが判別できる。

 土の中の分解された各種DNAを 分析 種別に区分け。

耳の後ろの骨や歯の髄が運よく確保・出土すれば DNAからの情報はより精度があがる。