借り受け書籍名 六一書房
埴輪生産からみた地域社会の展開 古代学研究会編 2023.9.20
12.25追記
多数の著者の中には、上番制度 という概念を用いて、埴輪生産を論じようとしている人もいるが、典型的中央史観。
あたかもヤマト朝廷が古墳時代前期から上番制度で地方から埴輪工人を徴集していたかのような展開、考古的立場の人はこの概念に反対する意見の方もいて、文献系?の話を展開する溝口氏や一部の考古学徒は例外、そのようにトータル的には読み込みました。
特に 文献派? 溝口氏の手法は、極めて不自然。本来の文献史派は文字の同時代性を優先し、例えば土師氏が対象であれば、木簡文字や金石文、次いで文献正史の後日本紀や正倉院文書や残存戸籍などから土師氏を探すのが普通、ところが溝口氏は 土氏もハニ氏もハジ氏も この人の造語として前代土師氏としてインクルーズ。
奇妙にも 土師氏が古墳時代前期最初期から活躍していた、とでも言いたげな話の展開。 見事に中世に出現する記紀や先代旧事本紀に沿った、土師氏への萬世一系を開陳しています。 追記閉じる。
P117~142 文字資料からみた埴輪生産・造墓の労働力と土師氏
にて、筆者 溝口優樹氏は、P123~124にて 古墳時代の殉死は 考古学的にフィクションと決めつけていますが、私にはこの見解が いかなる根拠から導きだされたのか? 理解に苦しんでいます。
古墳時代の最初期それとも弥生時代の最終末?
中国文献からは、AD248年頃 ヒミコ墓 100余名の生贄もしくは殉葬。
執筆者 溝口氏にとって 日本は 中国大陸と朝鮮半島と違い、殉葬など 確認できない という信仰の持ち主の様です。
日本の考古学は、縄文のストーンサークルの調査では 脂肪酸やリンの分析から ストーンサークル内に人骨もしくは遺体埋葬の痕跡確認済み。
不思議な事に 古墳時代の埋葬調査範囲、墳丘の主体部に偏向し、墳丘部への脂肪酸・リン解析、私はそのような報告書を読んだことがありません。
鬼畜米英の戦前の様に 非国民というレッテルを張られたくない古墳時代研究者は 現代 埴輪創生伝承(生きたまま埋められて泣き叫ぶ)への調査を 避けています。
実際の考古調査からは、前期古墳の和泉・黄金塚古墳や三重・石山古墳、同一の墓坑内に三つの埋葬施設。 土坑が三回掘られたという報告は出ていないはずです。
21世紀に入り 一部の 県の職員/埋文担当者は、意識的に主体部発掘を極力避けて (皇室に結び付きやすいと自己制限をかけて)玉・鏡・剣の所謂 三種の神器が出土するのを畏れだしています。
墳丘調査と称して、周溝廻りを調査。墳丘への調査に踏み込まず、盗掘の有無や後世の改変すら明らかにする事を躊躇しています。
多くの公務員系考古従事者 殉葬や奴隷の痕跡を解明せずとも 公務員として 考古の仕事でお給料がもらえると考えているのでしょうか?
楽しい話 ユートピア 古代ロマンを提供する仕事とでも考えているのでしょうか?
筆者 溝口氏は 古墳時代後期の人物埴輪に首長の姿を見つけて、これは殉死ではないと言っているが、古墳時代の葬送観念の変化が 封じ込めの前期と追葬可能の後期に大別できる事を忘れているようです。 彼の説では前期古墳の同一墓壙複数埋葬を説明できない。
前期古墳には 埴輪の無い古墳と埴輪の有る古墳に大別出来て、後円部が楕円形の前方後円墳は埴輪の無い古墳が多く、後円部・正円形前方後円墳は円筒埴輪がある事が多いようです。
なぜ埴輪の無い古墳があるのか? そうした調査/研究書を読んでみたいものです。
ヒレ付き円筒埴輪や大型装飾器台は 初出地域が 奈良盆地より西部の地域。時期は古墳時代前期。
形象埴輪/人物埴輪は 古墳時代後半期の物。
筆者は 埴輪で一括思考しているように見受けられる。
出雲風土記での 出雲国の支配エリア 西は現在の出雲、東は越。 見事に四角突出墳分布域と重なっている。
元出雲大神宮は 京都府亀岡市、なぜか律令期の所轄国名は 丹波国。
畿内ヤマト政権から敗北した出雲は 国域を削られたという仮説も成り立つのでは?
敗戦国の負担 勝者の墓の葬送儀礼に関与させられる 出雲
勝者の王都(王の住まい)の時刻連絡係 隼人
両国とも 一部の民 ミヤコへ 強制移住させられたのでは?
溝口氏は P121より 日本書記からみた土師氏と埴輪生産・造墓
にて、日本書記の文面を用いているが、先学の研究成果が反映していない。
雄略期とそれ以前では 文中の使用年号が、古い時代には文面が新しい年号表記、逆に雄略期以降が古い年号表記。
森博達氏が解明したように、古い時代の記載は(アルファ群)中国語を使いこなす文官が対応、新しい時代の方は日本化された漢字音表記と和習が目立つβ群が記載。
この先学の研究成果を踏まえない 暴論的文面として、P121にて
6世紀以前から 土師氏は鍛冶製鉄も担ってきた? その根拠は?
p124では 佐紀古墳群は 土師氏の前身集団という造語にて、この前身集団が関与と記載しているが、こうしたズルイ表現で 眼くらましをしているが、建設的学問手段とは言い難いのでは?
その点 日本書紀や古事記の方がまだ正直で 五世代あとの子孫という表現や允恭・雄略親子は允恭以前の天皇/大王の女性を娶り継承権を得つつ、先帝とは諱の違いで別系統を匂わせている。
同様 土部は土を扱うグループ、ハニは埴輪に係るグループ、スエは須恵器に係るグループ、そして土師部は土師器/黒色土器に係るグループ。記紀は書き分けている。
土師氏(前身)集団は 墓守りも鍛冶製鉄も土器生産も埴輪生産も担っていた?
中世出現文書の日本書記に内在する皇国史観/萬世一系という術中に見事にハマっているように見えるのは私だけだろうか?
土師氏も萬世一系という固定観念 こういうニセ者が見えない組織も困ったものです。 人選ミスとしか私には見えません。