こんにちは。
ハイ・パイン・サンキュー!です。
いつもとなりのかがわさんをお読みくださり、ありがとうございます。

高松では、夏休みが終わり、昨日から学校が始まりました。

まだ8月なのに、と言う気もするけれど、そろそろ暑さもやわらぐ頃だからでしょうかね。

 

さて、東北は岩手県・平泉、花巻に行ったお話の続きで、今回が東北の最終回です。

行った後に写真をまとめながら、これ書けるかな、なんて気持ちになったけれど、何とか書ききれそうな気がしてきました。

最期は読み方が難しい「達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)」に行ったお話です。

金色堂や毛越寺は何となく見たことがあったのですが、こちらはガイドなどを見て知りました。

岩盤に建物が建ち、摩崖仏があるというので、僕は観てみたくて、奥さんもお札が、というので行って見ることにしました。

もし達谷窟毘沙門堂や、岩面大佛、牛玉寳印(ごおうほういん)などにご興味があおりでしたら、どうぞお読みください。

 

達谷窟毘沙門堂

まずは、四国からの地図をのせておきます。
 
 
旅のおさらいをしますと、一日目は移動して一ノ関で宿泊、二日目は中尊寺と毛越寺、えさし藤原の郷から花巻温泉卿で宿泊、三日目は宮沢賢治童話村へ行き、その後達谷窟へ向かいます。
 

花巻の宮沢賢治イーハトーブ館から、前日に廻った平泉に戻っていくようなルートです。

 

 

東北自動車道を利用して、約1時間でした。平泉前澤ICで降り、そこからは約20分で、達谷窟毘沙門堂に到着です。

 

 

この日は土曜日でしたが、やはりこれまでと同じように一本道でも車の量は少なく、とても走りやすかったです。

このくらい走りやすいと、もし次回東北の観光をすることがあれば、またレンタカーを借りて行きたいと思いました。

 

到着する手前に大きな岩があって、僕は運転していて気が付かなかったのですが、奥さんは「見ちゃった…大きな岩」と言っていました。

僕も帰り道にちらりとみたのですが、道沿いに「髢石」(かつら石)」という看板がありました。

髢石

昔、この地方を治めていた悪路王は、美しい娘がいると聞くとさらってきていました。娘の中には逃げ出した者もいましたが、直ぐに捕まり、見せしめとして首を切り落とされ、太田川に流され、その首が下流の大きな岩に流れつき髪の毛を絡ませたという。この岩に娘達の沢山の髪が“かつら”の様にまつわりついたことから、この巨石を「かつら石」と呼ぶようになったと言われています。

髢石 | 世界遺産 平泉ゆかりマップより引用

なるほど、悲しい言い伝えのある石だったのですね。

僕は言われてから知ったのですが、奥さんはそれを事前に調べていたので、わかったそうです。

お好きな方は探して行ってみてください。

 

そこから1kmほどで達谷窟毘沙門堂の駐車場へ到着です。

道沿いにあって、向かいには大きな鳥居があるので、近くまでいくとすぐにわかりました。

 

達谷窟毘沙門堂の駐車場

 

駐車場から道路を渡ると窓口がありました。

 

達谷窟毘沙門堂

坂上田村麻呂が征夷の記念に毘沙門天を祀った岩窟。懸崖造りの毘沙門堂は、火災のたびに建て直されてきました。平安時代造像の丈六不動明王像(県指定文化財)や北限といわれる「岩面大佛」(磨崖仏)も必見です。境内全域が史跡指定。

一般社団法人平泉観光協会ひらいずみナビより引用

なるほど達谷窟毘沙門堂は、坂上田村麻呂が毘沙門天を祀ったところなのですね。

 

こちらで拝観料を支払い、中に入ります。

 

 

 

大人が300円、小学生は無料でした。

すぐそばには、立派な石の鳥居があり、またその向こうにも鳥居が見えています。

 

 

 

奥には朱塗りの「弐之鳥居」。

 

 

 

そして最後、3つ目の「三之鳥居」。

 

 

 

それをくぐると、目の前には半分岩に覆われた建物があらわれます。

おお、珍しい、こんなのは僕はこれまで見たことがありません。

 

 

「達谷窟と田村信仰」という長い説明が設置してありました。

坂上田村麻呂自信が神様になっているのですね。

 

 

これが毘沙門堂なのですね。

こちらの階段から上へ行けるようになっています。

 

 

 

 

中に入ると、とても暗いのですが、お経の声だけ聞こえていて、とても荘厳な雰囲気です。

ここから先は「撮影禁止」となっていました。

 

 

中ほどで靴を脱いで、上に上がれます。

奥の方を見てみたけれど、暗くてよくわかりませんでした。

きっと岩に沿って、仏像がたくさんあるのでしょうね。

「最強のお札」という言葉に反応し、奥さんは購入していました。

 

僕はこの岩をくり抜いて作られたであろう建物に興味がありました。

 

 

自然にできた岩面ではなく、何となく火の手が入ったような岩面が続きます。

子どもも「なんで岩ばかり撮るの?」と尋ねられましたが、あの上の穴とか気になるでしょ?というと、ますます不思議そうな顔になっていました。

 

 

 

岩を背に、朱の建物が張り付いているように建っているから、珍しいのだと思います。

 

岩面大佛

岩を眺めながらそのまま奥に進むと、「岩面大佛(がんめんだいぶつ)」という案内がありました。

 

 

最初はどのあたりが大仏なのかよくわからなくて、立ち止まってじっと見てしまいましたが、もう少し先のようです。

 

「↑」を見つけ、上を見てみると、大仏の頭らしきものが見えました。

 

 

明治時代に地震があって、胸から下が崩落してしまったとのことですが、大きくて迫力のある仏です。

「源義家が弓弰(ゆはず)で彫りつけた」とあります。弓の先の部分でしょうかね。

 

 

最初奥さんから「弓で彫ったんやって」と聞いたので、弓を射って矢の先で彫ったのかと思いましたが、弓弰と聞いて納得できました。

結構硬い岩ではありました。

 

 

岩面大佛の隣には、池がありました。

 

 

 

蝦蟆ヶ池辯天堂(がまがいけべんてんどう)とあります。

いろいろな説明が詳しく書いてあるので、一つ一つふむふむと読んでしまいます。

 

鳥居の方へ戻りながら、山の手の方へ向かいます。

 

 

鐘楼堂(しょうろうどう)とあります。

まわりながら思ったのは、中尊寺も毛越寺も、ここ達谷窟毘沙門堂(別當達谷西光寺)も、それぞれの敷地にたくさんのお堂が建っていて、一つずつ巡っていくようになっていました。

 

 

こちらが「姫待不動堂」と説明にありました。

 

 

先ほどの鬘石も、こうした背景があったのでしょうね。

 

その奥には「金堂」もありました。

 

 

 

 

「樹齢500年大オッコウ」という立て札もありました。

 

 

 

 

やや暑さで3人とも疲れていましたが、駆け足で最後まで観ることができました。

 

帰路にて

 

そろそろレンタカーを返却する時間と新幹線の時間が迫って来たので、帰ろうと思っていたのですが、奥さんは「コーヒーが飲みたい」と言いまして、毛越寺の近くにあった「琥珀」というお店で少し休憩しました。

 

何を注文したか僕はよく知らないのですが、「秀衡」とかなんとか言っていまして、出てくるとなんと金箔が!

 

 

こちらはレアチーズケーキだそうです。

 

 

僕は食べていないので、味についてはよくわかりませんが、暑い中を歩いたので、ゆっくりできてよかったです。

 

一ノ関駅でレンタカーを返却し、一ノ関駅で新幹線を待ちました。

在来線の待合で僕はお弁当を買った(残り2個)のですが、新幹線の改札の前にも海鮮丼なんかを売っているお店が出ていました。

結局先に買ってしまったので、新幹線に乗る前に奥さんは「海鮮丼がよかった」と言っていました。

海鮮丼、好きなんだね。

 

来た方向とは逆の方から帰りのはやぶさがやってきました。

 

 

好みもあるだろうけれど、新幹線でお弁当を食べるタイミングっていろいろありますよね。

東海道なら、車内が落ち着く新横浜を出た後とか、山陽なら混みあう大阪に着く前とか。

雰囲気的に仙台でたくさんの方が乗ってきそうなので(予想どおりでした)、今回は乗ってすぐに食べました。

 

 

クルミが入っていて、味付けも何となく僕が知っている味とは違い、ああ東北のお弁当何だな、と思いながらいただきました。

 

 

新幹線の窓からは、陽が沈みかけた岩手の田園地帯が見えました。

またいつの日か、また再びみちのく東北に来る時には、きっと今回の旅を思い出しながら来るだろうなと思います。

平泉も花巻も、訪ねて実際に見て感動したことがいくつもありました。

四国とはまた違った風土や文化を少しでも感じることができて、よかったです。

長かった東北の旅にお付き合いいただきありがとうございました。

次回はまた違うところの記事になると思いますが、またご興味がおありでしたらご覧ください。

 

それでは、今日はこの辺で。

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

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