こんにちは。
ハイ・パイン・サンキュー!です。
いつもとなりのかがわさんをお読みくださり、ありがとうございます。

 

いよいよ源平古戦場も最後です。いやあ、僕はそんなに記事を書くことが苦しいとは思わない方だけれど、今回は細かい地図や説明を一つずつ記したので、結構時間がかかりました。

これを見てここに行く人がいるのかどうかは全くわからないけれど、少し通りがかった時なんかに思い出してくれたらよいな、という気持ちで最後まで書いておくことにします。

今回は中編で書ききれなかったむれ源平石あかりロードの史跡の続きと、八栗駅の南側の史跡、最後に地図に船隠しを巡りました。

最後の記事なので、結構雑多な感じになってしまっていますが、あまりWEB上には掲載されていない史跡なんかも書いていますので、もし八栗駅周辺の源平屋島古戦場や、神櫛王墓、船隠しなんかにご興味がおありでしたら、どうぞお読みください。

 

総門跡、射落畠

源平屋島古戦場は、結構な範囲に点在しているので、小回りのきくバイクや自転車なんかの方が回りやすいかもしれません。僕は車を停めて歩いたけれど、暑い時なんかは大変だろうと思います。
 
 
さて、今回の場所ですが、何か場所の指定をと言われれば、コトデン八栗駅の周辺です。実際には、車で通ることが多いので、あまりこういう括りにはしないと思いますが、まとめやすいのでこうしておきます。
前回最後に行った洲崎寺(すざきじ)から、むれ源平石あかりロードをさらに南へ進みます。すると、「総門跡(そうもんあと)」という史跡がありました。石碑がどんと置いてあって、結構立派な史跡です。
 
総門跡(そうもんあと)
 
総門跡(そうもんあと)
松平頼重が蘇らせた平家の守り門。平家が安徳天皇を奉じて六万寺を行在所としていた頃、海辺の防衛に備えて守り門を築きました。現在に残る衡門は、合戦の遺構を後世に伝えようと初代の高松藩主・松平頼重が再建したものです。
おお、なるほど、これも遍路道に佐藤継信の碑を建てた松平頼重公が作ったのですね。頼重公、源平合戦が好きだったのでしょうかね。
おかげで僕たちはこうして源平合戦の史跡を巡ることができるので、かがわの歴史遺産の一つですね。
 
 
なるほど、平氏の海辺の前線だったところなのですね。木陰の傍には、木製の標木があります。これを頼重公が建てたとのこと。
 
 
これは、何となく趣があって、とても良い雰囲気です。今だと、あんまり建てないだろうなと思うような素朴なものですが、当時のお殿様は、是非ここに総門を!と命じて作らせたのでしょうね。
ここは浅瀬の海だったということなので、江戸時代にこれを作った人たちも、合戦のことを思い浮かべながら作っていたのでしょうね。
この門の前に立つと、一瞬その時代に行けるような、そんな不思議な雰囲気がありますよ。ここはお勧めスポット。
 
 
 
石の町なので、石碑もたくさんあります。書いた方々も調べてみると面白いのですが、先があるので進みます。
 
  • 総門跡(そうもんあと)
  • 〒761-0121 香川県高松市牟礼町牟礼2424-6
  • 駐車場なし
続いては総門跡からやや東にある「射落畠(いおちばた)」。
 
射落畠(いおちばた)
射落畠(いおちばた)
源氏の名武将、佐藤継信の殉職の地。源氏軍の四天王に数えられる佐藤継信が、大将の義経をかばって殉職した激戦地。継信の子孫が昭和6年に建てた石碑が残り、「胸板をすえて忠義の的に立ち」の文字が刻まれています。
この後、また佐藤継信の墓が出てくるのですが、その前に激戦の地だそうです。
 
 
柵で囲いがしてあって、なかなか入りにくい感じですが、入ると、いくつかの石碑がありました。僕は知らなかったのですが、佐藤継信の子孫という方が東北の方にいらっしゃるのですね。そうすると、ここは先祖代々のお墓のような意味合いもあるのだと思います。
平家物語に自分の先祖が出てくるというのは、それはそれで、結構なプレッシャーもあるかと思います。
 
佐藤継信顕彰碑 福島飯坂ライオンズクラブ
 
かがわで福島の何かを見かけることはないので、とても珍しい感じがします。地元の方だけではなく、全国の方々が大事にされている場所なのですね。
 
  • 射落畠(いおちばた)
  • 〒761-0121 香川県高松市牟礼町牟礼
  • 駐車場なし

神櫛王墓、佐藤継信の墓・大夫黒の墓

「墓」のタイトルが3つ並んでしまいました。コトデン八栗駅を南へ進み、踏切を超えて、細い路地に入って行きます。細いけれど、車も入れる幅があります。厳密には源平の史跡とは違うのですが、道沿いにあるので「神櫛王墓」にも立ち寄ってみます。手前の交差点の標識が「王墓 Ohaka」となっていて、どんな王様のお墓があるのか、以前から気になっていました。
 
 
 
読み方は様々あるようですが、看板には「神櫛かんぐし王墓」と記載されています。高松市教育委員会の看板はあるものの、WEBサイトなどには掲載されていません。
 
 
ここが何となく他と違うのは、宮内庁が所管する陵墓だというところ。かがわの中では、ここと白峯寺にある崇徳上皇のお墓「白峯御陵」の二か所です。
 
 
 
中には入れませんが、門から見ると、こんもり古墳のように盛り上がっています。
 
神櫛王墓
 
何となく寺社があってもよさそうですが、民家の裏手という感じの小高い丘にあります。源平屋島古戦場とは異なるお墓ですが、ひっそりとしている変わった場所なので、見学することができてよかったです。
 
  • 神櫛王墓
  • 〒761-0104 香川県高松市高松町2145
  • 駐車場なし
川沿いの道をさらに東へ進むと、「佐藤継信の墓(さとうつぐのぶのはか)」と「太夫黒の墓(たいふくろのはか)」があります。
 
 
「佐藤継信の墓(さとうつぐのぶのはか)」と「大夫黒の墓(たいふくろのはか)」
 
門を開ければ中に入って行けるような感じもしたのですが、誰もいなくて入りにくい感じでした。
佐藤継信の墓は屋島にも一か所ありまして、何度か見たような気持になってきます。
佐藤継信の墓(さとうつぐのぶのはか
大将を守った忠義の武士を称えて。
源義経の身代わりとなって倒れた佐藤継信の墓。1643年に初代高松藩主である松平頼重が新しく墓石を築き、継信の忠死を称えました。1931年には、継信の子孫が墓地の大改修を実施。現在の墓地公園に整備しました。
なるほど、1931年だから、今から90年ほど前にお墓を改修したのですね。
子孫の方がいるから、今後もまだ佐藤継信に関係する史跡が出来るかもしれませんね。
もう一つは大夫黒の墓(たいふくろのはか)。
大夫黒の墓(たいふくろのはか)
義経が一ノ谷の合戦で乗った名馬の墓。
大夫黒とは、義経が後白河法皇から賜った名馬。一ノ谷の合戦の「鵯越えの逆落とし」で乗馬しました。佐藤継信の供養の礼に志度寺の覚阿上人に贈り、死後は継信のそばに埋葬されたと伝わります。

名馬の「大夫黒」もここに埋葬されたということです。

 

  • 「佐藤継信の墓(さとうつぐのぶのはか)」と「大夫黒の墓(たいふくろのはか)」
  • 〒761-0121 香川県高松市牟礼町牟礼2395
  • 駐車場なし

長刀泉と菜切り地蔵、地図にない史跡「瓜生ヶ丘」

さて、長々と書いてきた源平屋島古戦場もあと残りわずかです。本当は佐藤継信の墓を見たあたりで、もう帰ろうかとも思ったのですが、せっかくなので最後まで見ることにしました。

佐藤継信の墓からは、国道を挟んで南側へ移動します。

 

 

僕は土地勘というか、方向が大体わかるので迷いませんが、はじめてだとここら辺からが一番迷うかもしれません。むれ源平石あかりロードや八栗駅から離れていくので、ゆっくり確かめながら歩いてください。

 

 

僕は国道11号の信号を使って横断しましたが、あまり人もおらず、聞いても知らない方が多いと思います。長刀泉(なぎなたいずみ)なんて、なかなか詳しくないと読めないですよね。

長刀泉(なぎなたいずみ)

弁慶が長刀で掘り上げた井戸の跡。兵士たちの炊事用水を確保するために、弁慶が長刀を使って井戸を掘ったと伝わる場所。合戦当時、この辺りは海で水がよくなかったために掘り上げたそうです。付近には、掘り出された石も残っています。

源平合戦古戦場 | 歴史・文化・芸術 | 屋島ナビより引用

今回の源平屋島古戦場めぐりで、はじめて出てきた弁慶さんの史跡です。

 

 

 

なるほど、合戦の際に水がなくて、弁慶がここを掘ったというのですね。今も何となく水のある井戸という感じです。

 

 

 

  • 長刀泉(なぎなたいずみ)
  • 〒761-0121 香川県高松市牟礼町牟礼2293-2
  • 駐車場なし

長刀泉から少し南側に坂道を登って行くと、JRの踏切があります。

 

 

そこを超えて、進むと突き当りに「菜切り地蔵」の道標があります。指さす方向は右。

 

 

住宅街の一角に史跡なんてあるのだろうかと上っていくと、来た道からUターンするような上り坂があります。

 

 

上った先のコンクリートの壁の上に源平の赤い幟が見えました。ここかな、と来てみると、ちょうどお堂の屋根の補修中でした。

 

 

菜切地蔵(なきりじぞう)

菜切地蔵(なきりじぞう)

弁慶が地蔵の背中をまな板にして料理。合戦時、炊事をする際にまな板がなかったため、弁慶がこちらの地蔵の背中をまな板代わりにして野菜の汁を作ったそう。今なお、その時の刀痕が残っていると言われています。

源平合戦古戦場 | 歴史・文化・芸術 | 屋島ナビより引用

 

これまでの源平史跡に比べて、長刀泉と菜切地蔵はユーモラスなエピソードに思えますね。

 

 

 

どれかがそうなんだろうな、と思いながら眺めていると、バタン、バタンと屋根の工事の音がしましたので、邪魔にならないように早々に退散です。

 

 

  • 菜切地蔵(なきりじぞう)
  • 〒761-0121 香川県高松市牟礼町牟礼
  • 駐車場なし(車を停められるスペースはあり)

そして、今回の源平屋島古戦場の史跡の中で、最も探すのに苦労したのが、こちらの「瓜生ヶ丘(うりゅうがおか)」です。

瓜生ヶ丘(うりゅうがおか)

源氏が陣を敷いたゆかりの地。屋島にいる平氏を攻めるために、源氏が本陣を置いた場所。付近一帯を瓜生が丘と呼び、「宇龍ヶ岡」と刻まれた石碑も建ちます。

源平合戦古戦場 | 歴史・文化・芸術 | 屋島ナビより引用

今はもうすでに行った後だから、あの辺りだな、とわかるけれども、当日はgoogleさんのマップにも記載がなく、行くのをやめました。

 

そして別の日、他のブログなどを拝見していると、あるにはあるようですが、どう行けば行けますよ、という記載がないので、仕方なく自分で探していきます。実際には違う方向から行きましたが、長刀泉からが一番近いです。長刀泉を北に行くと、川があるので、その川を渡らず、そのまま右に沿って進みます。狭い道なので、「通り抜けできません」の看板があるように、車はおすすめしません。

 

 

僕は知らなかったのですが「鎌長製衡(かまちょうせいこう)」という会社があり、その敷地の壁に沿う形で歩いて行きます。何となく奥の方に石碑のようなものが見えました。

 

 

進んで行くと、ありました、源平史跡の石碑と「宇龍ヶ岡」と刻まれた石碑です。

 

瓜生ヶ丘(うりゅうがおか)

 

奥の鉄塔の辺りがこんもりと丘になっているので、この一帯に陣を張ったのでしょうね。

 

  • 瓜生ヶ丘(うりゅうがおか)
  • 〒761-0121 香川県高松市牟礼町牟礼
  • 駐車場なし(車は通行できない)

船隠し

さて、もうこれで終わりにしてもよかったのですが、最後に船隠しだけ立ち寄っておきます。
船隠し(ふなかくし)
平家が源氏の来襲に備え、軍船を隠した入り江。
屋島の対岸に位置する五剣山の西の麓にある入り江。合戦の際、平家は源氏が必ず海から攻めてくると予想し、こちらの場所に軍船を隠していたそうです。1183年から1年半、平家の本陣があったと伝えられています。

地元のかがわさんたちは「ふなかくしがある、ここにふなかくし」という感じで、当たり前のようにその場所を言うのですが、僕は何となく「船隠し」の場所はあの辺りだろうな、とは思うものの、実際には尋ねたことはありませんでした。あの辺りだと思うけれど、一度も行ったことのない場所って結構ありますよね。船隠しも、そんな隠れたかがわの観光スポットです。

 

牟礼から車で北へ向かい、庵治の市街地を目指します。

牟礼の海沿いの道から山に入り、信号を超えて今度は下り坂になるところ。

 

 

ちょうど左側に喫茶店が見えて、「舟かくし」と書かれたバス停があります。

 

.

 

まあ、僕は車を降りて写真を撮っているから、余裕があるけれど、この道はほとんど唯一庵治に続く道で、石を運ぶトラックや地元の方が頻繁に通る道だから、ゆっくり、のんびり走行する車など皆無であることを書き加えておきます。

 

 

もし運よくそこが見つけられて、左折できたならば、下に続く道を下りて行きます。反対側は大きな宗教施設となっていますので、ご興味のない方は間違わないように注意が必要です。

 

 

僕は歩いて来たからよいけれど、車で来てしまって「駐車しないで」と言われてもどうしようもない感じです。

 

 

しかし、綺麗な海が目の前に広がっています。

ここが船隠しでなくっても、素敵な景色が見られる海辺くらいでも構わないほど。

 

 

庵治 船隠し

 

確かに、この入り江に船を隠しておけば、東からやってきても見えないはずです。そして屋島側からも見えない場所です。

  • 船隠し
  • 〒761-0130 香川県高松市庵治町新開184
  • 駐車場なし

もし、うまく船隠しの場所が見つけられなかったら、その先にある味の城岬公園(しろばなこうえん)まで行ってみてください。

入りやすいし、入りやすい駐車場もあります。

 

 

 

 

※追記

動画も作成しましたので、よろしければご覧ください。

 

 

※追記終わり

 

いやあ、途中はどうなるかと思いましたが、何とか源平屋島古戦場について書くことができました。他にも屋島山上や、周辺に細かい史跡があるようなので、今後も気が付いたり、行ったりしたら載せますね。小さな史跡から立派に整備された史跡まで、一つ一つが大事に扱われていて、雰囲気がよいところもたくさんありました。
源平屋島古戦場は何百年もの間この地域で受け継がれてきたのだな、と思いました。屋島の山の上から今度見た時には、あの辺りにはあれが、と思い出せるような、そんな楽しい史跡巡りでした。
皆さんも季節の良い時に是非立ち寄ってみてください。
 
それでは、今日はこの辺で。
 
いつもお読みいただきありがとうございます。
 

 

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