こんにちは。
ハイ・パイン・サンキュー!です。
いつもとなりのかがわさんをお読みくださり、ありがとうございます。

 

夜に結構な量の雨が降っていたようですが、今朝は曇り空です。

昨日は20時近くになっても西の空が明るかったので、ああ夏至の時ってこんなだよなと思いました。

 

さて前回の満濃池のゆる抜きの続きです。

と言っても、「ゆる抜き」自体は見てしまった感があるので、今回はどちらかというと「満濃池」の畔というか、池のお話がメインです。

 

 

 

何だか石碑や案内板がとても多いところで、ふむふむと見ていたら結構な量になってしまった為、急遽後篇にして付け加えた、という感じです。

まあ、この記事をお読みになる方がどれほど満濃池について興味があるのかは知りませんし、この場所を訪れている方もそんな説明などを興味深く見ている方がたくさんいるわけではないのですが、何となく気になるところだけ見てきました。

まあ、皆さんもしかして満濃池や石碑にはそれほど関心がないかもしれませんが、よろしければお付き合いください。

 

※追記

2020年6月のゆる抜きについて、感染症拡大防止の為、一般の方の見学をご遠慮くださいとのお知らせが出ていました。
ゆる抜きは、毎年あるから、また翌年まで我慢ですね。

※追記終わり

石碑、そしてまた石碑

もしこのことは素晴らしいという出来事があり、それを後世に伝えたい、と思ったら石碑にそのことを残すだろうか、と満濃池の畔に立つと思います。

他の地域にも、石碑の一つや二つはあるだろうけれど、ここ満濃池には本当にこれでもか、というほど建てられています。

 

 


僕がここに来たのはゆる抜きが始まって、ほぼ最初にいた方々が帰った頃なので、人よりも石碑の数が多いんじゃないかという時間でした。

(いや、決して誰もいない、という感じではないですよ…)

 

もちろん、石碑一つ一つにメッセージがありまして、まずは松崎渋右衛門さんの辞世の句碑。

 

 

「渋右衛門」は読み方が「しぶえもん」「じゅうえもん」、どちらでもよいのでしょうか。

幕末から明治維新の時代を生きた高松藩士のようで、なるほど、書いてあることをざっくりと読み解くと、結構苦労して満濃池の改修を行ったけれど、完成する前に43歳で亡くなった(暗殺された)、ということのようです。

この方はそういうことも常々覚悟し辞世の句を残していたようで、その句碑はもともと高松市片原町にあったらしいのですが、再開発(そういえばそういうことはあった)の際にこちらに移設された、ということが書いてあります。

特に「渋右衛門さん」のことは全く知らなかったのですが、何となく名前は聞き覚えがあるな、と思っていたら、そういえば片原町にそんな名前のお店があるので、よく看板を目にするからだな、と思いました。

 

そのお隣、文字もかすれてしまっているので、何と書いてあるのかはよくわかりません。

 

 

「明治八年」となっていて、「○○之記」と読めるので、改修工事が終わりましたという記念碑でしょうか。

 

さらにその奥には、ひときわ大きな石碑があります。

こちらは解説文があってわかりやすいのですが「松坡長谷川翁功徳之碑」だそうです。

先ほどの渋右衛門さんとともに満濃池の再築に尽力した長谷川佐太郎さんを称える碑です。

 

 

*追記

その後についつい香川用水記念館に足を運んだのですが、そこにある「水の記念館」にはなんと満濃池の歴史について、とてもとても詳しく解説したパネルがあります。

その中におられました、長谷川佐太郎さん。

(この資料館は写真がOKなのも嬉しいところです。)

 

長谷川佐太郎(香川用水記念公園水の資料館展示パネルより)

 

名前だけよりも、やっぱり人物像の方が実感が持てますね。

 

*追記終わり

 

よくよく見ると、この3つは時代が近く、明治時代の碑でした。

 

神野神社とかりん亭

 

そして、その奥には神野神社とあります。

 

 

町の教育委員会の説明版もありまして、満濃池を守護するため古くからある神社ですよ、と書いてあります。

 

 

鳥居が1470年に作られていて、まんのう町では最古の鳥居だそうです。

 

 

 

面白かったのは、社殿の扉が鏡のようになっていて、鳥居とその向こうに満濃池が映ります。

そういうのは今までなかったので、これはこれで面白いところです。

 

 

 

 

僕はこの日にはお昼を済ましていたので、食べませんでしたが、満濃池の畔には少し変わった飲食店もあります。

かりん広場の横にある、その名も「かりん亭」。

 

 

 

かりん亭正面

 

ちょうど正面に旗がありまして(文字は反転していますが)「ひまわり牛」とあります。

7月になると、まんのう町(というより仲南の方がこの場合しっくりきますが)では「ひまわり」が見頃を迎えています、というニュースが流れます。

本来は昨年見に行こうかな、と思っていたのですが、台風が来て花が倒れてしまい、お祭りも中止になりました、というニュースに変わってしまいました。

今年は開催されるといいな、と思いますが、その「ヒマワリから採取したヒマワリ油の搾りかす」をエサにして育てた牛が「ひまわり牛」だそうで、それをまたここでは「ひまわり牛肉うどん」として食べられるようです。

このあたりはオリーブ牛にも通じるものがあるのですが、「ひまわり牛」の幟を普段見かけることはないので、とても珍しい感じです。

 

 

さらに僕が興味深く見たのは「まんのう名物ヤーコンうどん」の幟です。

ヤーコンという野菜(と言っても食べたことはないが)をうどんに練りこんだ、とてもヘルシーなうどんなのだそうで、先ほどのひまわり牛と一緒に食べることもできるようです。

 

「満濃池のかりん亭でヒマワリ牛肉ヤーコンうどんを食べる」

 

というのが、次回の目標となりました。

何だか町の特産品を全部詰め込みました、という感じが美味しそうで、とてもよいと思います。

 

いろんな百選

 

まだまだ石碑は続きます。

少し時代が新しく、こちらは昭和45年の完成記念碑です。

 

 

なるほど、工事が無事に完了したので、それを記念して石碑を建てる、ということになっているようです。

 

少し変わったものでは、1993年東四国国体のリレーの採火を記した石碑などもありました。

 

 

 

 

この位置から見ると、広い意味では「ダム」とも言える様な雰囲気だな、と思っていましたら世の中にはいろんな「百選」がありまして、満濃池もちゃんと「ダム湖百選」に入っていました。

そして面白いことに「ため池百選」というのもありまして、こちらにも選出されています。

うむむ、満濃池は関連する「百選」には大抵入る、ということのようです。

他にも 「満濃池のゆるぬきとせせらぎ」が「日本の音風景百選」に入っていたり、「香川のみどり百選 」にも入っていたりします。

変わったところでは観音寺の有明海岸、さぬき市の津田の松原と並び「日本の渚100選」にも。

国交省、農水省、環境省の方面では、かがわから満濃池が選ばれることが多い模様です。

最後の「渚」は「?」と言う感じもしますが、確かに変わっているともいえないことはない、と言う感じ。

 

 

 

 

 

島の方にも何か大事な石碑がありそうですが、これは見るだけ。

 

もう少し行くと「神野神社御旅所」とあります。

 

 

 

僕は実際には見ていないのですが、神事なんかをここで行うのでしょうか。

 

 

神野寺というお寺の方面に近づくと、石碑はまだまだ続きます…。

 

 

こちらも何かの「記念碑」とあるようですが、読めません。

 

 

「昭和6年」とありますので、その頃の何かなのでしょうね。

 

そのお隣には「満濃池配水塔」とあるので、大正3年に配水塔が出来た時の碑でしょうか。

 

 

こうなると、もちろん歌碑だってあります。

 

 

丸亀城でもお見かけした、吉井勇さんの短歌も入っています。

 

そして、平成13年になると、さすがに石碑ということにはならなかったようで、満濃池略史が看板になっていました。

 

 

なるほど、こうして満濃池の歴史を見ていると、そのままかがわの歴史を見るような気持ちになりますね。

戦国時代、450年もの間修復されず、池の中に村ができていた、というのもとても興味深いところです。

 

竜と鯉の今昔物語

さて、さて、満濃池がどうやって作られたのか、と言うこと以外のお話もあります。

この辺りに立っていると、ちょっと前(去年)ですが、まんのう公園に行った際、サイクリングコースから眺めた景色を思い出しました。

 

 

まんのう公園から満濃池(2015年10月)

 

右の方に白い線のようになっているのが、今立っている池の畔です。

その奥には象頭山でしょうかね。

そして「池見の丘」だと思うのですが、満濃池の伝説について二つの説明版がありました。

 

 

 

「天狗退治」と「池くずし」のお話ですが、今回見ている満濃池の畔にはもう少し詳しく、「満濃池の龍(今昔物語)」という看板がありました。

 

 

こちらは昭和63年に香川県が建てた看板です。

 

まずは竜と天狗のお話ですが、巻20第11話「竜王為天狗被取語」にあるようです。

「竜王が天狗に掴まってしまったが、僧の助けを借りて仕返しをした」という看板の説明だけでは、今一つどういうお話かわかりにくかったのですが、どうも最後には「前生の機縁なるべし」とあるので、そういうことが言いたかったのだろうな、と思います。

 

 

小さな蛇がいればよかったのですが、日向ぼっこしようとしているのは亀でした。

 

 

池くずしの方はもう少しわかりやすい感じです。

巻31第22話「讃岐国満農池頽国司語」にあるようですが、大きな鯉を取ろうとして池の堤防を壊してしまった、というお話なので、欲張ってはいけない、ということなのだろうと思います。

その当時から「海のように広くて堤が高い」とか「まだその堤もあるそうだ」と語り伝えられているところが面白いところです。

 

 

ゆらゆらと鯉の影も見えますと、池にちょっと穴を開けて魚を得ようとした国司の気持ちもわからないこともありません。

 

最後に配水塔に近づいていきます。

 

 

「霊跡おちょうな岩の跡」という説明版はありましたが、どこかはわかりませんでした。

池の下の方なのでしょうかね。

 

 

八大龍王を祀っているようです。

 

 

ゆる抜きの際にはここに入って行き、操作が行われるようですが、行った時にはすっかり終わっていて、しっかりと施錠されています。

 

 

ちょうどきりがよいところで帰ろうともう一度満濃池を見ると、ちょっと小高い山が見えました。

 

 

確かかどうかはわかりませんが、もしかしたら真ん中が竜王山(讃岐山脈)かもしれないな、と思って眺めました。

 

さて、そろそろ戻ろうと思いますが、登って来る時とは反対側を歩いて帰ります。

 

 

上の画像の左側に道があります。

少し高い場所に道があるのですが、少し樹が生い茂っていて鬱蒼としています。

 

 

 

 

最初に見た時の印象より、ああ、なるほど満濃池ってとてもよく出来ていて、これを作るのは大変だったのだろうな、と思いながらその流れを見ました。

 

こうして振り返ると、満濃池そのものが、大勢の方が苦労して築き上げた大事業であって、そのゆる抜きが風物詩になる、というのも理解できるような気がしてきました。

まあ、実際にはただ単に水が流れるのを見たり、その音を聞いたりするだけですが、目には見えず、耳に入らないその背景にある歴史や物語みたいなものを思い浮かべながら歩くと、また違った印象があるようにも思えます。

もし近くに来ることがあるならば、静かな池の畔に寄ってみてください。

 

 

それでは、今日はこの辺で。

 

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。