昨日は30度を超えていましたが、今日は一転して涼しい感じです。
5月が過ぎても、まだ晴れの日が続く6月のかがわです。
別に興味がない、ということもないのですが、特に興味があるというわけでもない場所もあります。
かがわの西の方、特に宇多津や丸亀方面に行くと、何となく遠くからでも、ここはよく見えるので、「ああ、あそこにお城があるのだな」という感覚はあるのですが、「それでは行ってみようという気持ちに」あまりならないから不思議なものです。
もう20年近くかがわにいて、市役所やその周辺には行ったことがあるのですが、丸亀城にだけは、なぜか行ったことがありませんでした。
僕自身はそれほどお城なんかには興味はなくて、よく知らないのですが、折角かがわにあるお城なので、ちょっと覗いてみてきました。
行ってみたら意外と良い場所だったので、お城や大名にご興味のある方や、そうでもない方もその雰囲気を感じていただければと思います。
駐車場と丸亀市立資料館
僕もかがわに来てからあまりそういう話を聞いたことはないので、今回初めて知ったのですが、丸亀城は主に下記の三家によって作られたようです。
最初は生駒さん、続いて山崎さん、最後が京極さん。
高松の方では、生駒さんの次には松平さん、という説明をよく目にしますが、丸亀は山崎さんと京極さんなので、ちょっと言葉にはしにくいのですが、全体の趣味というか、好みが高松城とはやや違う気もします。
場所ですが、丸亀市街地の中心部です。
一言で「丸亀」というけれど、意外とその場所がどこか、と言われると、難しいかもしれません。
瀬戸大橋よりちょっと西寄りで、瀬戸内海が北東に広がるのですね。
高松は北西の方向に海を見るので、同じ「瀬戸内海」でも、夕陽などの印象は違うだろうなと思います。
もう少し拡大してみると、
こんな感じで、お堀がありまして、「ああ、これはお城だな」という雰囲気です。
さて、大半の方は車で行かれるのだと思いますので、駐車場です。
丸亀城は、結構な中心市街地にあるのですが、無料の駐車場があります。(2016年5月)
ふむふむ、「城内 資料館の南側」とありますね。
僕も知り合いのかがわさんからこの駐車場のことは聞いていたので、ちょっと行ってみました。
なるほど、大きな看板はないものの、「駐車場」という案内がありました。
季節によって時間は違うようですが、この時期は午前6時~午後7時まで開いていました。
「亀山公園」とも呼ぶようです。
とても余裕がある、という感じではないのですが、僕が見た限りでは入れ替わりがあるので、数台は空いていた、という印象です。50台くらい停められるようです。
車から降りると、隣には広いグラウンドがありました。
野球のグラウンドのようですが、この3月末に使用が中止されて、中に入って散策はできるのですが、野球はダメですよ、ということが書いてありました。
折角なので、資料館に立ち寄ります。
何だか最初から使用中止ばかりで申し訳ないのですが、こちらの資料館も今日6月1日から来年2017年3月末まで工事のため閉まるようです。
ちょっと振り向くと、綺麗に天守が見えます。
資料館の中は写真がNGだったのですが、ちょっと前に話題になった「ニッカリ青江」という刀剣や、これも少し前に大河ドラマになった「江」の手紙などがあるようです。
ちょうど刀剣は高松に行っていたところで見られませんでしたが(まあ、これも興味はない…)、手紙の方はふむふむとしばらく見ました。
石棺なんかがあったら良かったのですが、今回は見当たりませんでした。
ちょこっとした常設展示(無料)でしたが、閉まる前に見られてよかったです。
大手門から見返り坂
北側にまわると、大手二の門からも天守が見えます。
何となく天守がたかいところにあると、ふっとカメラを向けたくなります。
「史跡 丸亀城跡」とあります。
国の史跡なのですね。
お城の周りにはお堀もあって、鯉や白鳥、亀なんかがいました。
(丸亀市の丸亀城、亀山公園にいる亀というと、何となく好ましい感じ)
橋を渡って大手一の門までやってきました。
戦国時代に攻めてくる立場だったら、あまりここにはとどまりたくない感じです。
この大手門は重要文化財に指定されていますが、左手の方から中に入ることもできます。
平和な時代に生きる僕たちは、攻め入る側の視点も、攻められて守る視点からも見ることができるので、ああ、今が戦国の世でなくて本当によかった、と思います。
中央には時刻を知らせる太鼓がありまして、思わず叩いてみたくなりますが、「時を告げる」という太鼓なのでむやみに叩いてはいけません。
外を見ると、先ほどの大手二の門の方面が見えます。
網にピントがばっちりあってしまっていますが、気にしません。
このあたりをうろうろしていたら、とても狙いやすいです。
屋根にも京極さんの「四つ目結」が見えます。
そして、提灯にも四つ目結。
再び外に出て、ぶ厚い門の下を通ります。
くぐりながら、門を開けようとして、ここから何かが落ちてきたら嫌だな、と思っていたら、上には「石落とし」がありました。
やはり、誰でもそう思いますよね…。
石垣の美、三の丸、句碑
そろそろ上にいこうと思います。
地図で見ると、ひょいひょいと行けそうですが、実際には上り坂となっています。
ふむ、確かにどこでもお城は、上って行かねばなりません。
ちょっと見ると、そんなに勾配があるように見えませんが、実際行ってみるとちょっとした坂になっています。
どうしようかな、と思うところですが、行ってみます。
丸亀城というと、石垣の勾配が急で、それが美しいという説明をよく見かけます。
まあ、確かにそう言われれば、そうかな、と思いますが、残念ながらあまり興味はありません。
ただし、ちょうど「新緑の頃は若葉の楓が」という季節だったので、雰囲気は良かったです。
なるほどこの坂は「見返り坂」というのですね。
上って、どのくらい上ったのかな、なんて思わず見返してしまう坂です。
代々の丸亀城主の家紋が並んでいたので、何だろうと見てみると、
なかなか風流な屑入れでした。
もう少し上っていきます。
上りきると、三の丸になっていて、東西南北の四隅から景色が見られるようになっています。
ここからは北側と東側、宇多津ゴールドタワー、瀬戸大橋の方面がよく見えました。
三の丸は中庭のようになっていて、木陰で休む方もちらほら。
「月見櫓(やぐら)跡」という場所からは南東に向かって景色が見えます。
ちょうど飯野山の方面ですので、確かに月見にはちょうど良い場所かもしれません。
時計回りに少し進むと、「延寿閣別館」という建物がありました。
旧藩主京極さんの江戸別邸の一部だそうです。
中は当時のままにしているのだとか。
このあたりで、ふと気づいたのですが、結構お城の中に自然が残っているようで、とても手入れが行き届いているところと、意外とそのままなところがあって、それが何となく良い雰囲気を醸し出しているように思えてきました。
ここは「三の丸井戸」なのですが、良い感じにそのままになっていて、苔むして、緑に覆われた古城という感じ。
「抜け穴伝説」とありますが、今はもう無理だろうな、と思うほど草木が覆っています。
ちょうど南西側ですが、立入できないようになっている部分がありました。
後から見上げたら、確かに崩落しそうなところがありました。
※追記
2018年10月、この年の度重なる豪雨により、最初は帯曲輪が、その翌日三の丸が崩落しました。
※追記終わり
ちょうど金毘羅さん、象頭山の方面ですが、そういえばこういう感じで見たことはないな、という景色です。
どこを見ても、石垣なので、このあたりで少し飽きてきます。
これは後から気が付いたのですが、三の丸のまだ下にもう一重、帯曲輪(おびぐるわ)という場所があったようです。
※追記(2018年10月)
2018年夏の度重なる豪雨と台風の影響により、この辺り(下の帯曲輪)が崩れてしまいました。
その翌日には三の丸(上の方)も崩れてしまいました。
修復には大変だろうけれど、頑張ってもらいたい気持ちです。
応援しています、丸亀城!
※追記終わり
再び振り返ると、天守に近づいてきているのがわかります。
二の丸搦手(からめて)から三の丸へ上ります。
帰宅してからパンフレットで「搦」という字を読めたのですが、それまではどうしても「鰯」に見えてました。
草木が生い茂っていて、石の色と緑がとてもあっています。
これは草など刈らずに、このままの方がよい感じです。
丸亀城にはいくつか句碑があるのですが、確かに一句読みたくなる気も理解できます。
高浜虚子さんは飯野山方面を向いて詠んでいました。
稲むしろあり 飯の山あり 昔 今
何となくわかるような気もします。
吉井勇さんという方は沙弥島の柿本人麻呂を。
人麻呂の歌かしこしとおもひつつ 海のかなたの沙弥島を見る
丸亀市制50年の時にこの句碑が建てられたようです。
丸亀に限らず、かがわさんにはこうした石碑がとても好まれています。
ちなみに市制100年(平成11年)の時にはさだまさしが「城のある町」という歌を作ったようで、僕は初めて聴きましたが、何となくよい曲ですね。
日本架空説というアルバムに収録されていて、歌碑が丸亀駅前にあるそうです。
丸亀駅に行く機会のある方がいたら、見てみてください。
150年の時にはまた何か句碑を建てるのでしょうかね。
さて、ここまでくると、天守まであと少しなのですが、字数制限にかかりそうなので前篇はここまでにします。
次は天守まで上っていったお話になるはずですので、またご興味があればお読みください。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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