こんばんは。

 

公伯です。

 

今日は3月11日。

 

東日本大震災から13年が経ちます。

 

私はビルの14階にいた時に

 

大きな揺れを感じてね。

 

今いるビルがぽっきりと折れるんじゃないかと

 

心配したくらいの激しい揺れで、

 

あれで震度5強ですからね。

 

震度6とか7を体験した人は

 

もっと恐い思いをしただろうと思います。

 

 

 

 

あの時はまだBCPとか防災マニュアルとか

 

そこまで厳格になかったので、

 

年配の社員は何人か早退すると言って

 

急いで帰って行きましたが、

 

そういう人は帰宅難民にならずに

 

済んだのかもしれませんが、

 

私もあの日は地獄の一晩を過ごしました。

 

 

 

 

定時後に会社の同僚と近くの居酒屋に行き

 

時間が経てば電車が復旧して

 

帰れるよくらいの甘い認識だったのですが、

 

東北では大きな火災も発生し、

 

津波で多くの命が奪われたのを知るのは

 

翌日のことです。

 

あの頃はまだまだスマホは普及しておらず

 

携帯電話でしたので、

 

iPhoneが珍しいくらいの時期でした。

 

飲み会も終わり、駅には人があふれ

 

あちこちで座り込んでいる人がいて

 

帰宅をあきらめてる人もいてね。

 

同僚の頑張りで満喫が取れて

 

そこで一晩明かそうかと言ってた頃、

 

私は電車が再開したという話を

 

警察から聞いてね。

 

同僚に別れを告げて、

 

急いでそのホームに向かいましたが

 

既に長蛇の列でね。

 

その間も頻繁に余震が襲います。

 

ホームに降りるまでに数時間。

 

ホームから電車に乗るまでに

 

またかなりの時間を要して、

 

電車に乗ると

 

体験したことのないような

 

満員電車でね。

 

車内では潰される~とか

 

きゃーとかの悲鳴があちこちで聞こえて、

 

悲惨な状況でした。

 

それでもね。

 

東北の人たちを思えば

 

命があっただけでもありがたいと

 

そう思うしかないと思って

 

我慢しておりました。

 

家に着いたのは当然翌日になっていて、

 

安全防止の影響かガスが使えなくてね。

 

ネットでその解除方法を見て

 

なんとかガスを復旧させてから

 

シャワーに浴びて深い

 

眠りについたのが今でも

 

昨日のことのように思い出されます。

 

そしたら翌日から

 

水やトイレットペーパー

 

ティッシュがスーパーから消えてね。

 

それはそれは散々でした。

 

花粉症持ちなので

 

ティッシュが無いのは大打撃でね。

 

入荷情報が入っても

 

ティッシュかトイレットペーパーの

 

どちらかを選ばされるという

 

散々な状況でした。

 

水道水から放射性物質が検出されて、

 

水は赤ちゃんがいる家庭から

 

買えるような状況になったり、

 

多くの人が安全を求めて

 

水に殺到していました。

 

私はもともとお茶を1ダース

 

箱買いしていて、

 

そのお陰で多少なりは持ちましたが、

 

飲料水が買えないというのは

 

色々な意味で焦りましたね。

 

こういう時に必要以上に買いだめる人は

 

餓鬼に憑りつかれている人でね。

 

正確には操られているというか、

 

仏教の教えを借りれば

 

こういう人達は

 

死んだら地獄に行く人達なのですが、

 

無駄に欲を出して

 

がめつく欲しがるのは

 

やはり良くないのでね。

 

止めたほうがいいです。

 

ただ東京ではほとんどの人が被曝したはずでね。

 

悠仁さまだけでも京都に避難をと

 

政府内では検討していたようで

 

放射性物質に関する

 

様々な情報や憶測が飛び交いました。

 

私も福島の原発事故を機に

 

空気清浄機を購入して、

 

シャープの空気清浄機にあるHEPAフィルターは

 

原発内でも放射性物質を除去するのに

 

使われたりしているのでね。

 

 

 

 

これも野次馬さんとこの情報があったから

 

せめて室内の空気だけでも

 

綺麗なものにしようと考えて、

 

せめてもの気休めのつもりで買いました。

 

それから13年も経つとはね。

 

ほんとあっという間です。

 

原発はまだ封印されてないので

 

事故はまだまだ終わってないのですが、

 

それでも少しずつ安心というか

 

少なくとも関東近郊の野菜なども含めて

 

放射性物質を気にしないで

 

食事ができるまでになってきたのでは

 

ないかと思ってます。

 

今日は在宅の日でね。

 

昼はお弁当を買いに

 

スーパーに行きました。

 

いつも音楽を聴きながら

 

歩いて行くのですが、

 

久しぶりに竹内まりやが目について、

 

「毎日がスペシャル」を聴いてね。

 

あの歌声とメロディは中毒性があって、

 

なんか周期的に聴きたくなる時があって

 

それがまさに今日でね。

 

「占いラッキーじゃなくてもね~。

 

毎日がスペシャル~♪」という歌詞が

 

妙に響いてくる日でした。

 

生きてるだけで丸儲けなんで、

 

毎日毎日が人生一度のことなら

 

それはスペシャルな日ですね。

 

こうやって人間というのは

 

上り坂下り坂を経験していって

 

修行しているので、

 

皆偉いなと思います。

 

今竹内まりやさんの曲は

 

韓国の若い人達に流行していて、

 

日本の1970年代後半から

 

80年代前半のシティポップの歌が

 

トレンドなんだそうです。

 

毎日がスペシャルは

 

2000年代くらいの曲ですが、

 

マージービートで唄わせて とか

 

元気を出しては80年代ですね。

 

 

 

 

人生何があるか分からないから

 

楽しいのでね。

 

何があるか不安だと思うより、

 

何があるか分からないから楽しいと

 

思える日々を過ごしたいなと

 

今日は13年前を振り返って

 

色々と考えた日でした。

 

公伯