おはようございます。

 

公伯です。

 

昔、「淡谷のり子」さんという歌手がおりました。

 

日本のシャンソン界の先駆者ともいわれる方です。

 

1907年生まれで、戦前から活躍されている大歌手ですね。

 

1999年にお亡くなりになられているので、

 

92歳の大往生を成し遂げられました。

 

私は、フジテレビの「ものまね王座決定戦」で

 

審査員を務めていたのをテレビで見て、

 

この方を知ったのが最初だと思います。

 

私が知る淡谷さんは白髪で眼鏡をかけた

 

仏頂面のおばあさんという感じで、

 

嫌いな人はとことん嫌い。

 

好きな人はとことん好き。

 

という分かりやすい方で、

 

そして毒舌コメントの走りともいうべき辛辣な意見は、

 

お茶の間に笑いを届けていたと思います。

 

 

 

 

どこか東北なまりを感じさせる言い方は、

 

多くの方がものまねをされていたと思います。

 

でね。この方の口癖と言うか、

 

私が印象に残っている言葉は、

 

「勉強しなさい」

 

という言葉なんです。

 

 

淡谷さんは貧しい家の出で、時には自身が

 

裸婦となり家計を助けながら音楽学校を卒業するという、

 

今の時代ではとても考えられない経験をして

 

声楽を学んでこられました。

 

淡谷のり子があるのもきっとこの音大を卒業したからという

 

思いが強かったのだと思います。

 

淡谷さんの代表曲と言えば、「別れのブルース」

 

多くの方が「ものまね」するのもこの曲ですね。

 

 

 

 

でもこの曲がヒットしたのは1937年の日中戦争の頃です。

 

面白いエピソードがあって、

 

淡谷さんは戦時中、中国に日本軍の慰問に

 

行ったりしていたのですが、

 

そこで道に迷ってしまい、「山口」という表札を見つけ、

 

日本人がいると思って玄関をたたいて、

 

そこで山口淑子さんと会っているんですね。

 

山口淑子さんは、別の名前を李香蘭と言い、

 

日本人なのですが中国人のふりをして

 

美声を轟かせていた歌手でもあり女優でもあります。

 

 

 

 

中国には地方によって使われる言葉が違い、

 

北京語が標準語となっていて、

 

当時はその北京語をどれだけ正しく発音できるかで、

 

就ける職業などが決まっていたほどです。

 

李香蘭こと山口淑子さんは、たまたま

 

中国でお世話になっていた家で、

 

美しい北京語す方がおられたので、

 

中国人かと見間違うほどの発音を身につけ、

 

それを武器に見た目もその声も美しく、

 

中国人の心をわしづかみにしたとされてます。

 

戦後、山口淑子さんは参議院議員も務められました。

 

話しがそれましたが、

 

ここ最近ずっと私の頭に淡谷さんが出てきます。

 

テレビで見ていた頃は子供だったから、

 

ただの怖いおばあさんでしたが、

 

今思うと、きっと人には言えない

 

辛いことを経験して、戦争の悲惨さを目の当たりにして、

 

だからこそ強くたくましくなって、

 

テレビの前では偉そうな態度をとっていたんだろうなと

 

そう思えてならないのです。

 

その淡谷さんが口癖のように「勉強しなさい」

 

と言うのは勉強することで身を助けることもあるから

 

って言いたいのかなと思えるのです。

 

私も仕事になれてしましい、

 

なんとなく普段通りに仕事をして、

 

これまでの経験だけでなんとかしようと思ったりもしますけど、

 

でもやっぱり人ってのは学ぶことを続けないと

 

いけないのかなと、淡谷さんから喝を入れられているようで、

 

昨日は初心に戻り、仕事に集中してみました。

 

そうすると見える景色も違うというか、

 

昔はやることなすことが新鮮で、

 

ワクワクしながら仕事をしていましたが、

 

でもね、それって知らないこと、

 

未知のことを学ぼう、学びたいという姿勢が

 

そうさせていたんだと思います。

 

それをね。少しだけですが昔に戻った感じで

 

思い出せてよかったなあと。

 

小さな喜びを感じた一日でした。

 

淡谷さんありがとう。

 

公伯