よく、虐待されている子でも親を愛してしまう。といいます。どんな親でも親は親で、それは揺るぎがないものです。私も多分、根底では親を愛してしまっています。死ぬほど憎くて、いなくなれと思う面が大半なのですが、絶縁して何年も経つのに未だに親を忘れる日はありません。母は元気でやっているだろうかと考える日もありますし、父は相変わらずなのだろうなと苦笑いする瞬間もあります。

生きていると、家族の思い出は至るところに散りばめられています。楽しい思い出だって、時にはあったのです。思い出さないように蓋をして、親を愛してなんかいない、すべて最悪だった、あの人たちは何もかも間違っていたと思っていました。
けれど、父も母も悪いところが全てではなかった。愛すべき部分もあった。母は365日休まずたくさんの種類の料理を作ってくれたし、大きくなってからふたりきりでのランチは大人同士の付き合いとして楽しかったです。父は尊大で鼻持ちならない男だったけれど、たくさんの知識や本で私の世界を広げてくれました。

悪いところしかない人間なんていないから、楽しい思い出がちらついて苦しめられるときもあります。でも、父母を嫌いで嫌いで憎んでいて、葬式なんて行かない!もう二度と会ってはならない!と思う自分もいれば、過去にこんな楽しいことがあった、父母は元気だろうか?もし再会して話し合えば、和解できるときがまた来るのだろうか?と思う自分がいても良いよね、と最近は思えます。

絶縁したのだから嫌いでなくてはならないなんてこと、ないです。嫌いなんですけどね(笑)
家族として20年暮らしてきたのだから、嫌いだ!という一言では片付かない感情があります。いちいち白黒つけて、グレーに苦しむ自分を解放して、こうあらねばならぬという鎧を脱いでいきたいです。

だから、アダルトチルドレンや虐待、心身症など問題を抱えている人が、矛盾した感情に苦しむ必要はないのかもしれないと伝えたいです。