やり方はまずかったけれど、過去の記憶の断片をたどると、私は親から愛されていた。と思います。正しかったとは言いませんが…。
親の当時の状況を考えると、キャパシティいっぱいいっぱいで ああするしかなかったんだろうな、どうしようもなくて、誰にも助けを求められず、精いっぱい足掻いていたのだろうなと。子どもを怒鳴り殴り散らしながら、こんなはずじゃなかったと心で泣いていたのかもしれない。誰しもが、毒親のような大人になりたい訳がないからです。理想の両親像からどんどん外れ、子どもから軽蔑の眼差しを向けられ、ひどく孤独だったのだろうと思います。もがけばもがくほど、子どもは離れて冷たくなる。友達もひとりもいない。愚痴を聞いて共感してくれたり、優しく励ましてくれる仲間や身内もいない。疲れ切ったときに助けてくれる人間がだーれいないって、めちゃくちゃ怖いことですよね。私の親は、その苦しみにずっと晒されていたのかなぁ。

人間として、尊敬したり仲良くしたりするのはおそらくこの先も不可能でしょう。でも、両親がちっぽけでなんの力も持たないただの他人の老人に成り下がった今、客観的な目線で冷静に振り返ることならできます。赤の他人として、彼らの背景を鑑みるならば、虐待に走る要素しかなかったと言っても過言ではありません。
核家族、虐待を受けて育ってきた、毒親を非難する勇気もなく、就職から結婚まで親に支配されて生きてきた、親に殴られるのは苦痛だったが、殴らなければ子どもは言うことを聞かないからと言い聞かせられ、実際そうなのだ、殴られるのは自分が悪いからで、自分が子どもを殴るのもまた子どもが悪いからだと思い込んでいた、親に反抗するなんてとんでもないことで、親の存在や意見は絶対正しく、その通りにすれば間違いないんだと洗脳されていた、だから従わない子どもがおかしい、どうして?どうして?と、苦しんでいたように思えます。でも、表向きはそうでも、心の奥底では分かっていたはずなんです。親の言いなりで生きてきた自分の人生に対する後悔に向き合いたくないから、私も従わせたかったんです。

親もまた毒親の犠牲者で、人生のすべてを親に支配され、未だに親の影に怯えています。もう80歳を過ぎた親のご機嫌をうかがい、仕事の昇進の自慢をして褒めてもらいたがり、いかに社会人として・親として自分が立派なのか、子どもがきちんと育ったか、世間に恥じない生き方をしているか証明し続けていました。アラフィフにもなって。。。

私は、親にたくさんの暴言を吐かれました。不細工、器量が悪い、なんの価値もない、性悪、人格が破綻している、誰にも愛されない、結婚できない、彼氏に遊ばれているだけ、最後には家族しか残らない、家族を大切にしろ、どれだけ不細工でバカでも家族だけは味方だ、親に恩返しをしろ、金を返せ、感謝しろ、介護しろ、一生そばにいて面倒を見ろ………。20年間そう言われ続けたら、自信なんて根こそぎ奪い取られます。実際に自分の顔を見て、可愛い!それに、内面が素敵!なんて、思えたことないです。

だけど、本当にそうなのかな?私もあなた達も、本当の本当にそうなのかな?ちっぽけな人間の言うとおり、どうしようもないクズなのでしょうか。生きている価値もないようなゴミなのかな。

私って、もしかしたら良いところもあるかもしれないって思うようになってきたんです。絵も描けるし、楽器もできるし、歌も楽しく歌えるし、料理も上達してきたし、服もシンプルだし(笑)、汗あんまりかかないし、足くさくないし(笑)、ダイエットもうまくやってるし、スキンケアもがんばってるし、毎日お風呂入ってるし(笑)、旅行とかご飯食べるのとか、めいっぱい楽しく余暇を過ごせてるし、ふたりの可愛い子どもに恵まれたし、旦那もなんだかんだいい人だし、今はもう殴られたり怒鳴られる恐怖から解放されてのびのび暮らしてるし、誰かに命令されて言いなりの人生なんて送ってないし、あんなに怖かった両親の支配から抜け出せた。

私は私の人生を生きるぞ。