親のことを納得して内面に落とし込んだら、そんなに気にならなくなりました(笑)
日々の暮らしもあるし、なんだかんだドタバタとしていたら考える時間がないというか、考える必要が無くなったようです。

以前の自分は激しく両親を憎み、自分を恨み、環境を憎み…と毎日しんどくてたまりませんでした。

怒りの感情は激しく摩耗します。年も取って、憎む体力がなくなってしまったのも大きいです。十数年も会わなければ、過去の記憶の輪郭も曖昧になります。

じゃあ再会して和解ができるか?と問われると、私自身は出来ます。仲良し親子♪来週も再来週も家族ぐるみでお泊まり仲良し♪という関係ではなく、過去を清算して大人としての距離を保った関係ならば。

しかし、過去を鑑みるに両親には難しいでしょう。絶縁したり親から勝手に与えられた内定を辞退して顔に泥を塗られた!と大騒ぎしていたので、私が土下座して許してください、これからは何でもおっしゃるとおり動きます。今後の面倒はすべて看させてください、両親の言う通りにします!とでも言えば満足するでしょうが、それはしません。

もし向こうから接触があったとしたら、大人同士の対等で意見し合える、そして互いに人間としての権利が尊重される関係でなら、関わり合えると思っています。
私達 被虐待児は、長年子どもとしての権利を侵害されてきました。子どもらしく天真爛漫に振る舞ったり、失敗したり、嘘をついたり、わがままを言う機会を奪われてきました。親の基準で、そのときどきの機嫌で、激しい罵倒や虐待を受けてきました。

それはひとえに、親の余裕のなさ、育った環境によるものです。虐待に関して、こちらには責任はありません。子どもがどんなイタズラをしようが口ごたえをしようが、コテンパンにされる必要なんて一切なかったのです。

うちの子たちも乳児から幼児になり思い知りましたが、子どもというのは親の思い通りにならないものです。触ってほしくないものを触り、食べ物で遊び、こぼし、姿勢を崩し、嘘をつき、靴を並べず、大きな声を出す生き物です。

私は幼児の頃から激しく虐待されていた記憶があるのですが、とんでもない話です。それをつい数年前まで、私は手がかかる子だったし、ある程度殴られても仕方なかったのかな…なんて思っていました。
このブログをご覧になっている方でも、そう思われているかもしれません。しかし、それは違います。

わざわざ親とまた喧嘩したいわけではないですが、今後もし関わらざるを得ない状況があるとするならば、やはり人間として超えてはいけないライン(恫喝して従わせる、殴って脅す、同情を引いてやりたくないことをさせる等)を超えないのは、最低限のルールとして互いに守らねばならぬと思います。

それを超えたら相手にはしない。だって職場でそんな人がいたら仲良くするか?という話です(笑)人として適切な言動を取らなければ、親子だからで全て済ませてはいけません。

もし両親が相当な改心をして、大人らしく振る舞えるのなら、関わることはできるかな?という段階まで来られて、だいぶ生きやすくなりました。
まぁこれまでの行いを見てそれはほぼ不可能と分かっているので、関わることはないと思いますが(笑)

自分は自分らしく生きていく権利があるし、やりたくないことをする必要もないし、誰からも脅されたり強要されてはいけない!世間一般で当たり前すぎる事実を、遅まきながら知ることができて良かったです。

被虐待児や元虐待児の方々も、それを腑に落としてハツラツと生きてほしい。自分の人生を生きる覚悟を持てば、親のことを考える時間はなくなります。頑張りましょう。