続きです。
2007年12月27日。
主治医からの呼び出しで急いで病院に向かうと前日より顔色が悪くパンパンに浮腫んでいる柊馬。
主治医からまた別室で説明・・・。なぜか今回は看護婦さんも一緒
あたしは主治医から新しい治療方針についての説明だと思っていた。
しかし・・・
「柊馬くんですがどうやら小腸閉鎖もしくは小腸捻転の疑いがあります。開腹手術が必要なんですが今の状態では無理です。それから動脈管が閉じまてくれませんし・・・心不全にも・・・。これについても手術が有効ですが非常に今に状態では危険です。」と説明が・・。
あたしは目の前が真っ暗に・・・。
主治医は
「それでですね・・・。柊馬くんはここまでよく頑張りました。今ご両親がしたいことがあるなら出来る限りしてあげたいと思います。たとえば、柊馬くんに赤ちゃんらしく過ごさせたいと言われれば抱っこも可能です。今ならお腹の管が抜けてしまっているのですぐに抱っこできます。残された時間を赤ちゃんらしく過ごさせてあげるのも柊馬くんのためになるのかも・・・。もちろんご両親が治療を続けたいと言われるなら腹膜透析を再開します。ご両親で今後について話していただけませんか?]と言われた。
要するに柊馬は長く持たない。もう手の施しようがないってことなんだって話を聞いているうちに主治医の前で初めて涙がこぼれてきた。もう止まらなくて悲しくて悔しくてあたしは何も言えなかった。
答えを出せずに泣いてばかりのあたし。
看護婦さんを残して主治医はNICUに戻っていた。
看護婦さんが
「このお部屋使っていいですから少し話し合ってみてください。」と言って出ていった。
旦那とどうすることがいいのか話し合った。
けど答えなんて出るわけなくて・・・
あたしは抱っこすることを拒み続けた。
だって抱っこしてしまえば柊馬のターミナルケアをしてることになる。柊馬の死を認めることになるってあのときは思っていた。わずかでも可能性があるなら1日でも長く生きていてくれるなら・・・。
そう思ってあたしたちはまた透析をすることを選んだ。
でも柊馬の状態は一向に良くならず、日に日に悪くなっていった。
年が明けてお正月休み実家の両親が岩手から柊馬たちに会いに来た。
主治医から状態が良くないから抱っこしたいならしていいですよと言われたがあたしは抱っこするのをまた拒んだ。
旦那も両親も会いたいと言うので面会に連れて行った。
旦那と毎晩のように抱っこするしないで話し合った。
でもあたしは抱っこに賛成できずにいた。
あたしだって柊馬を抱っこしたい。でも抱っこするってことは保育器から出るってことでまだ小さな柊馬が保育器から出たら確実に死に近づく。あたしが諦めていいわけがない。
でも・・・
でも・・・
柊馬はたくさん頑張った。痛い思いもさせたくはない。
でも・・・
何が正しくて何が間違いなのかわからなくて自問自答の日々。
そして旦那から
「俺は次に先生から抱っこしてみないか言われたら抱っこさせてもらうことにするよ。柊馬は頑張ったよな。これ以上は可哀想だよ。俺だって生きてほしいよ。だから奇跡を信じて抱っこして柊馬の可能性を信じよう。」って言われてやっと抱っこを決意。
続きはまたあとで・・・。