ゆっくり・・・
時々・・・
気が向いたときに・・・
少しずつ、柊馬の生きた36日間をアップしていこうと思います
どこから書けばいいかなぁ・・・まずは妊娠に気づくまでのみやび夫婦についてから
2007年7月半ばからあたしは食欲が落ち始めて体重が減り始めた。
あたしたち夫婦は3月末からぎくしゃくしていた。何度も話し合いを重ね一時期は離婚・・・
なんて話にもなっていた。
あたしの実家の両親を呼び今後について話し合い、離婚の準備を進めていたのが5月。
それでも納得がいかずに旦那と話し合い『もう一度夫婦として頑張る』と決めて再生しだして2ヵ月が過ぎようとしていたころの体調不良あたしは眠れない日が続いていたし不規則だったから夏バテ気味なんだと思っていた。
そんな時旦那に
「検査してみたら?」と言われて残っていた検査薬で検査をした。
2007年7月27日・・・
検査薬・・・陽性
正直複雑だった。
嬉しさよりも今このタイミングで妊娠、出産をして夫婦として再生できるのか・・・
旦那も驚きって感じではなく困っていた。
翌日病院に行き妊娠は確かなものに。
あたしは今まで欲しくても出来なかった2人目に何があっても産みたいってエコーを見て思った。
でも旦那は・・・
「このタイミングではいらない。育てる自信ない。」と妊娠を喜んではくれなかった
1週間後に妊娠を継続するか話し合いまた病院に行くことにした。
話し合いはずっと平行線のまま
決まらず検診の日。改めてエコーで赤ちゃんを見ると・・・
「あっこれはもしかして・・・うわぁ
二つあるよ
しかも・・・ひとつかぁ
」と先生独り言
そしてエコーを見せられて
「双子です。うちの病院では無理なので他の病院で受け入れてくれるとこ探しますね」って。
双子と聞いたあたしは産む決意がさらにつよくなた。旦那はさらに今回は諦める気持ちが強くなりまた何度も話し合い受け入れてくれる大学病院での診察の日になっても結論は出なかった。
2007年8月22日。
大学病院で診察。予定日は2008年3月19日。あたしの独断で妊娠継続を決めた
帰宅後、旦那はまだ迷っていたがあたしがストレスをためないように義両親にあたしの妊娠を報告。
するとおじじから「誰の子だ?」と言われあんなに産むことに否定的だった旦那はブチ切れて
「俺の子だみやびは浮気なんかしない。ふざけるな
」と怒ってくれて旦那も妊娠継続を受け入れてくれた。
この出来事をきっかけにぎくしゃくしていた夫婦仲がなんとなく改善され始めた。
そして平和に2週間に1度の検診生活が始まった
20週を過ぎると検診は1週間に1回に
もともと胎児が下がりやすかったあたしは双子ということで検診の日以外は出来るだけ自宅安静
ベットの上で横になっている生活。
これも産まれてくる双子ちゃん達のためって頑張れた
つづく・・・。