こんにちは。
十史絵です。


先日、
駅構内を歩いていた時、
ふと目の前にある幸せを感じて
目に涙が浮かびました。


この数ヶ月間、
娘が登園したがらないことが
多くあったのですが、
登園できたことを褒めても
大きな意味が無いことを実感しました。


葛藤がある中で、
朝起きられたこと、
着替えができたこと、

じゃなくて、

今、ママと一緒にいてくれること、
今、生きていること、
今、ごはんを食べたこと、
今、笑ったこと、
今、何かしようとしたこと、

どんなことも
私にとっては宝石のような出来事でした。


生きていると、
つい結果を求めて、
結果で判断してしまうのですね。

時々振り返りながら
自分を見つめています。



私は、6年前のちょうど今頃、
娘を妊娠中に子宮頚がんと診断され、
妊娠中に手術を受けました。

がんの治療ガイドラインに従って
私の治療を進めたのならば、
娘は今、この世界にはいない可能性が高い、
という状況でした。


私があまりにも
自分を大切にしてこなかったから、
大切なものは何かということを
決断し、選択するための
出来事が与えられたのかもしれないと、
責めたこともありました。


自分の命をとるか、
赤ちゃんの命をとるか、、。

母体のことを考えて、
まだ発達半ばの時期での
出産をするべき、、。

赤ちゃんが無事大きくなったとしても、
お母さんがいなくなってしまったら
この赤ちゃんはどうなるの?


私は、
医師が本気で伝えてくれる、
私にとっての悲しい言葉を何度も断りながら、
自然分娩の道を選びました。


真っ暗な部屋の中で一人、
枕をビショビショにするほどに
泣いたこともありました。


それでも、
自分で決めたかったのです。


誰かの言葉で
自分の想いを曲げたら、
一生後悔すると思いました。


周りの声に従うことが必要な時もあります。


でも、
そこに自分の決断が伴わなかったら、
いつか後悔するかもしれません。


いつか誰かの声のせいだと
誰かを責めるかもしれません。


そして、責めるのは、
自分じゃない誰かに対して、であり、
自分自身に対しても、です。


責めるのは簡単です。
受け止めることの方が難しいのかもしれません。


受け止めることを決める。

受け止めて、自分で決めていく。

言葉として放って、やってみる。



きっとできる、、。

私はそう思います照れ



試練は『愛』かもしれませんね。

どう受け止めるか、、ですね照れ



十史絵