皆さんこんにちは。
先週だったか、ほぼ毎日アメブロを更新して、いい調子だなあと思っていたのですが、今週に入って仕事が期末のピークを迎えてしまいまったく更新できませんでした。続きませんねえ。
ということで、2週間前の週末に船橋大神宮に行ってきたときのことを書こうと思います。
これの前の記事で船橋の行田団地に行ったことを書きましたが、その翌日のお話です。
最近続けているウォーキングという名の長めの散歩の一環です。
船橋市にはもう30年近く住んでいるのですが、船橋の名物の一つである「船橋大神宮」には行ったことがありませんでした。
有名どころのお寺や神社には遠く及びませんが、初詣のときは結構賑わうそうです。
船橋大神宮はJR船橋駅南口を出て徒歩15分くらいのところにあります。京成本線では「大神宮下」という駅が最寄り駅で徒歩数分程度。正式には「意富比神社」(おおひじんじゃ)と言いまして、天照皇大御神を祀った相当古い歴史を持つ神社です。
さて私は船橋駅から徒歩で移動しました。途中にはところどころ気になるスポットがあります。
本町通りと呼ばれる通り沿いには、少し前までは昭和30年代頃に建てられたと思われる3階建ての長屋的なビルがたくさん並んでいました。1階が店舗、2階以上が事務所や住宅と行った雰囲気で、駅前エリアがどんどん新しくなっていくのに比べて本町通りの昭和なレトロさが魅力でした。
こう言う感じです。今でも地方都市にはこのような建物があるかも知れません。
それでも、そう言った建物は新しいビルに建て変わってきています。
そんな中、数軒だけ完全にタイムスリップした建物があります。
そのうちの1軒が、創業300年「廣瀬直船堂」という和菓子屋さんです。
いろいろと調べたりしてみると、現在の建物は大正時代に建てられたものだそうで、戦災も免れて今も建て替えることなくお店を開いています。
店内はレトロ。お客さんがいらしたので、店内で写真を撮るなどはやめておきましたが、ホーロー製のものを初めとした懐かしい看板が飾られていました。これら看板は実際に使っている、というところが、わざわざレトロ感覚を出そうとしている所との大きな違う、流石の佇まいと言ったところです。
その他、「船橋地名発祥の地」と書かれた、市内を流れる海老川にかかる橋もありました。
そんなこんなで10年程前に高架化された京成本線の線路の下をくぐると、船橋大神宮に到着です。
西門と呼ばれる入り口の階段を登るとひときわ目につくのが、この大きな石碑。
「西門第一鳥居 再建記念碑」と書かれています。
当時の船橋町の米穀商ほか有志によって、大正10年6月に建てられたと刻まれていました。
近くには神社に寄付を行った人の名前と金額の書かれた石碑がいくつも置かれていました。
普段大きな神社に行くことが殆どないのですが、この石碑の量は結構多かったと思います。
そして次に伺ったのは、神社でおそらく一番有名な建造物、灯明台です。
これ。
この灯明台は、もともと江戸後期に建てられ、付近を航行する船にとって目印となっていました。
しかし戊辰戦争で消失し、明治13年に再建、15年程使用されたそうです。
この塔が今でも軒の文化財として保管されています。
残念ながら小高い丘の上にあり、中に入ることはできないのですが、独特の建築(擬洋風建築というものだそうです)で、文明開化の香りがする建造物となっています。
その後、拝殿でお参りをして、
そして南側の出口から外に出ました。
途中には写真は撮り忘れましたが、奉納相撲で使われる土俵もありました。
行った時間が遅かったのでじっくりと見て回る余裕はあまりなかったのですが、取り敢えず船橋の観光地の一つである船橋大神宮(意富比神社)の訪問を終えることができました。
余談ですが、神社の塀のあちこちに自民党のポスターが貼られていて、正直後味が悪かったです 💦
船橋市は広いので、まだ行ったことがないところがたくさんあります。これからも船橋市の色んな所をめぐりたいと思いました。それでは、また書きますね。