『こんにちは。初めまして今日から働かせて頂くキリです。
 よろしくお願いします。じゃあ服を脱ぎましょうね。』
『・・・・・。』

返事がない。聞こえてるのだろうか?

『靴下から脱ぎますね』
『・・・・・。』

やっぱり反応がない。
靴下を脱がせる為にしゃがみこみ、
そっと彼女の顔を覗き込んだ。眼は開いていた。
今度は顔を見てこれでもかというくらい満面の笑顔で声を掛ける。
 
『お風呂に入るから靴下脱ぎましょうね。』

すると、ゆっくり顔をこちらに向けうっすらと笑みがこぼれた。
(よかった。聞こえたんや。)と少しほっとして靴下を脱がした。
次は上着だ。
寒い季節だったので、当然何枚も着ている。
まず、袖を抜くことにした。
だけど、麻痺はないのだろうか?
迷っていると、誰かが『この人麻痺ないからね。』と教えてくれる。
親切な人にお礼を言い、いざ開始!
しかし、彼女の服は思っていたより小さく、
なかなか身体に密着して離れてくれない。
しかもトレーナーの様な被り物。
背中はピッタリ車椅子にもたれている。
無知な私は、袖をひっぱって腕を抜こうとするが肘を曲げてくれないので抜けない。
諦めて今度は胴体から挑戦してみる。
当然、背中がういていないから前しか上がらない。
とうとう、無理やりやったもんだから頭の部分で止まってしまい、
お婆ちゃんは【ムンクの叫び】みたいな姿になってしまった。

(ひぇ~!)

まさしくこっちが叫びたくなった。


働き始めるとすぐに後悔した。
初日、若い女の子の職員が指導してくれる事になり、
彼女に付いて風呂場に行った。
そこでは今まで見た事のない浴槽が設置してあり、
それが、世に言う器械浴というものだった。
まず私の眼に飛び込んできたのは、2人の老人さんが、
素っ裸で浴槽の両側に寝かされていて
まるでまな板の上の鯉っていう表現がピッタリの情景であった。
彼等の身体にはタオル一枚も掛かっておらず、
大きな窓が天井まで続いていて光がさして明るい。
そして、その人達の次に入る車椅子に乗った人達が5~6人上半身裸で待っていた。
幸い、その人達はタオルを羽織らせて貰っていたが。
浴室には若い子達が聴くような流行の曲がバンバンかかってる。

何これ~?

正直な第一印象だった。
それに、臭い!
おしっことウンチの臭いが風呂場に充満している。
よく見るとバケツからオムツが溢れていて蓋がしまっていない。
みんなは気にならないのだろうか?
慣れ?それにしても、施設の入浴はみんなこんなのなのかしら?
私がもし年を取り入所した時にこんな明るい場所、
いくらヨボヨボのお婆ちゃんでも恥ずかしいよなぁ。
男性職員もいるんやもん。
あっでももしかして呆けたらわからんか。等など・・・色んな思いが駆け巡った。
しかし、それも一瞬の間で、
『じゃあ、この方の着脱お願いしますね。』と言われる。
この方といわれた方を見ると、
一人の痩せたお婆ちゃんが車椅子に俯いて座っていた。

(おいおい、私今日初めてなんですけど・・・)

その時にこの台詞を言えばよかったのだが、
緊張していたせいなのか、『はい。』と答えてしまったのだ。(ひぇ~~。)


「二人のムンク」へ

暫くすると、これまた、その彼女に誘われるままに
市内の老人施設に見学に連れていかれ、
いきさつは良く覚えていないのだが面接を受け、
あれよあれよと就職する事になってしまっていた。
その時、まだヘルパー講座は始まったばかりでその仕事がどういうものなのか、
漠然にしか理解出来ておらず、
老人相手に仕事をするのね。みたいに気楽に構えていたような気がする。
とにかくいろんな事にそうなのだが私はかなり物事を軽く考える性質で、
どん際になって、しまった~!とか、うそ~!なんて事が日常茶飯事だ。
少しは反省してくれると助かるのに、忘れっぽいという特技が備わり一向に進歩がないのだ。
おまけに開き直りを得意としていて何でも前向きに転換してしまうから、
『まっいいか!』と終わってしまうのである。要は、考えるのが面倒臭いのだ。
そんなこんなで、私の始めての介護生活がスタートした。
案の定『うそ~!決まったの!』『まあ、いいか。なんとかなるさ。』と呟きながら。


「喰えない鯉」へ

2000年の初春、今まで10年余り勤めた店が閉店になり、
次の仕事先をみつけてく同僚を感心しながら
『暫くのんびりして、普段疎かにしている主婦に専念しようかな。』等とのほほんと考えていた。
そんな私をみかねてかどうかは判らないが、
世話焼きの仲間がある日、『資格を採らない?』と持ちかけてきた。
いいかげんな私はその時特に何の資格かも詳しく聞かず、
いや、もしかしたら彼女はちゃんと言っていたかもしれないのだが、
気が付いたら5人の仲間と『ホームヘルパー2級養成講座』に通う事になっていた。
そのことが、私のこれからの人生に大きく影響を与えるなんて夢にも思っていなかった。


「流れに身を任せ」へ