私の80歳の父が左腎臓癌の手術をして11日間入院し、昨日21日に退院しました。


4月の頭ぐらいに血尿が出て病院で検査をしてみたら左腎臓癌だと分かり陽性(悪性)でした。

しかもLevel5にまで進行していました。(Level1や2=陰性、Level3=陰性or陽性、Level4や5=陽性)

もう3年前ぐらいから癌になっていたとの事でした。


しかしLevel5にまで進行しているのに転移はしていないと先生からの説明を受けました。

父は80歳ですが自営業で仕事現役バリバリ、全く老けてはいないし、しかも癌になった人の様に痩せてもなければ元気が良い(だから癌だと気付きませんでした)

先生も検査でLevel5と出ても稀に陰性(良性)の人がいるらしく、だから転移をしていないのかもしれないと言いました。

でも直ぐにでも(4月の半ば)左腎臓を全て切開、そして尿管の一部の切開手術をしないと陰性であっても陽性になる可能性があるから良くないと言いました。


しかし父は自営で社員は誰もいない、いきなり入院、手術は出来ない。

結局6月の半ば辺りなら仕事の休みが取れる事になり6月の11日に入院、そして翌日12日に手術をする事になりました。


4月の半ばに癌だと分かり、6月11日に入院。2ヶ月間の間、父は、かなり複雑な気分の様でした。

仕事が出来るぐらいに身体は元気、陽性癌になった人の様に全く痩せてはいない、逆に手術に向けて母が体力を着けないと駄目だと普段より食べさせようとするから太る。

こんなに元気なら陰性(腫瘍)じゃ?それなら手術をする必要性はないのでは?

でもLevel5なら陽性(癌)だろうから手術をしないと駄目だ。でも手術をするのは、やはり怖い。

母と私は陰性(腫瘍)であったとしても左腎臓を手術で全て無くしてしまえば陽性になる可能性は0%になるじゃないかと言う。また転移をする可能性もないと言う。

時に喧嘩のようにまでなりました。


私は27歳の時、持病の癲癇(てんかん)が今より目茶苦茶酷く、障がい者1級でした。

今は障がい者2級です。しかし癲癇で2級は重症でなければ2級ではありません。

しかし20歳〜27歳の時は私は障がい者1級。

大発作を毎日数回起こしていて、勿論家から出る生活は送れない、生きているのか死んでいるのか分からない。(私の癲癇は左側頭葉複雑部分発作といい海馬の真横が悪い)

大発作を起こすから怪我もする。また発作は海馬の(記憶や言語を司る場)真横のせいもあり表現しきれない恐怖感が襲ってくる。

精神が殺られて気が狂いそうな、そんな生活を送っていました。


そんな時に私の主治医が、そんな生活を送るぐらいなら、脳のオペをした方が良いのではないか?と日本で脳の手術をしたらプロの脳外科の先生を紹介してくれました。

そして私は2ヶ月手術をする為に大学病院へ入院しました。

私は手術に向けての恐怖感は全くありませんでした。普段の生きているのか死んでいるのか分からない生活から抜け出したい、発作時の恐怖感からしたら全く平気だからです。


結局、私はアミタールテストで(手術前の色んな検査)手術の成功率が低く失敗したら知的障がい者になる可能性が高く手術は出来ませんでした。

しかし何故、今、ここまで元気になったのか?(週に1〜2度発作はあっても昔からしたら全然マシです)

30年ぐらい、この病。先ずは若い頃からしたら私の性格は気が弱いとはいえババーになり図々しくなり(笑)強くなった。

そして発作がやってくると相変わらず恐怖感は襲っては来ても、いい加減30年も経てば慣れたからだと思います。


しかし父は健常者。

しかも男性は女性より弱い(イザとなると女性が強いし〜笑)

また今まで、めちゃめちゃ元気だったのに、いきなり癌だと告知。

私が脳の手術をする時とは大違いだなと思いました。

また私も20歳の時に、今まで20年間は健常者だったのに、いきなり貴女は癲癇、障がい者だと言われた時の大ショック。

それと父は似ている…と。

父が入院するまでの2ヶ月間。なんやかんや家族3人で喧嘩のようになったり、時には私が両親を励ましたりしていました。


私には私が35歳の時に突然知った異母の弟がいます。

母と弟は親子ではなくても父と弟は親子です。

しかし弟は一人暮らしをしていて遠い場所に住んでいます。

しかも目茶苦茶ハードな仕事をしています。

母と話をして弟には手術→退院してから言う事にしようと言う事になりました。

言うと責任感が強いだけではなく行動力が、目茶苦茶早い弟に負担がかかり過ぎるからです。

また母と弟は親子ではありません。母が弟に頼むのは、やはり遠慮があります。


しかし私達、車の免許を持っていません。入院、手術をする病院が遠い。入院するとなると荷物が多い。どうしよう?

父は勿論、車の免許を持ってはいますが手術日が近くなり元気がないから車の運転をさせたくない。

近くに私のイトコが免許を持っているから頼むしかない、ただ入院日はイトコの休みの仕事だし…と思っていたら、弟から何故、父が癌だと知らせなかったのかと激怒のLINEが来ました。


何故、母も私も伝えてないのに弟が知っているんだ?知らせたのは一人しかいない…父。

父と弟は親子。気弱になり1番頼りになる弟に言わない訳ないか…と。

案の上、弟は入院1日前に、即、来てくれました(行動力が目茶苦茶早く、しかも連絡を何もせずに突然やってくる無口な弟。猛スピード幽霊と言ってますw)


私達、家族3人は1番頼りになる弟が来て目茶苦茶安心しました。

父が癌だと知り父は落ち込む、母は強そうにしていていても、もう年配者。

若い私が1番シッカリしないと気合を入れていていても不安で仕方ない。弟を見て安堵感からヘタヘタ(汗)


結局、父の手術5時間、家族3人で付き添っていました。やはり心配で気がきではありませんでした。

でも頼りになる強い弟。多弁ではなく、どちらかというと無口。ずっと側にいて励ましてくれていました。


しかし父。麻酔が覚めて何を言ったか?「腹減った」と(ー ー)💧

あんた…手術する24時間前から食事抜いてたとはいえ麻酔が切れて普通「腹減った」言わんだろ💧


5時間も心配してた、私等はバカやんけ(ー ー)💧

弟は大爆笑(笑)そこまで元気なら早く治ると言ってました。

確かに弟が言った通り、手術後、回復力が早く、80歳の父が凄いと看護師さんが驚いていました。


手術から抜糸が一昨日終わり11日間で退院しました(*^▽^*)

昨日は家族4人で弟の奢りで鰻屋さんに行きました。


母が言いました。

弟は私が発作を起こした時でも全く焦らず対処する事が出来る。父は慌てるので大違い。

しかし父と弟は多弁じゃない、イザとなったら家族(兄弟)を守ろうとし頼り甲斐があるから逞しい。

似ていないようで似ている。確かにそうだな…と思いました。(ただ悪い所もソックリw)


父と弟へ。いつも本当にありがとう。