そういうわけでもありませんが、驚くことに店長さんが辞めてしまったのです。
ちなみに、こちらも驚くことに店長さんのデブ父さんももうとっくにポックリと逝ってしまっていたところです。
・・・と、この店長さん退職の記事を書こうと、この1ケ月苦戦していたとこでした。
ブログの更新が停まるのは、こういう時ですね。
もっとも、まったく書かなかったわけではありません。
2度ばかり途中まで書いたのですが、見事に時間切れで途中で消えてしまいました。
いつもならコピーしてメモ帳に記事を保存するのですが、うっかり消してしまったのでした。
そうでした、コピーしてメモ帳に保存するのが面倒だと思っているうちに時間切れで、うっかり消してしまったわけですが、そうですよね、下書き保存すればいいんですよね。
まったくわかっていませんからね。
そういうわけで、店長さん、突然の退職でした、ほんとに突然だったそうです。
真相は不明ですが、私などからすると、しこたま貯め込んだので、風雪台で、その若さで悠々自適な生活を始めるのではと思えますが、どうも違うようです。
でも営業をやる店員は少ないので、チラシ業務以外は、1日中、車に拡材を積み込み営業をやっていましたので、そうとうな給料を貰っていたと思います。
もっともある人によると、そうでもないと言う、そこまで高級ではなかったという。
でもそれはそうですよね、私はこの店長さんが入って来た時から知っていますが、最初から変な突っ張りで誰彼の見境もなく突っかかって来るような危ない若者で、仕事の方は、箸にも棒にも引っかからない感じでしたから。
まあみなさんの応援や所長さんの推薦もあったし、本人も頑張って仕事をやって来たとは思いますが、病気持ちで、突然、意識を失うということで、車やスクーターを何台もダメにしていますし、そういうわけで、いくら頑張っても、この店にいる限りは、なんだあの店長さんかと甘く見られるところがありますからね。
まあほんとにもっといい給料が貰えるところがあったのかもしれませんしね。
それでもやはりこの店長さんだけは、みなさんが応援し過ぎたおかげ、会長・所長が応援したおかげだと思いますけどね。
もっとも、これだから無理してでも若い子を無理にでも主任にしたり、店長にしたりするんでしょうね、ナマステ主任さんなどもそうですけどね。
なんだどうなるかと思ったら、なかなか頑張って真面目に仕事をやるじゃないかというわけですよね。
人は見かけに寄らないものだと私も思いましたから。
つい最近も若い頃、会長にお世話になったのでというので、この新聞店で会合をやろうとみなさんを連れて来ていた人がいましたけどね。
ともあれ辞めてしまったものはどうしようもないですね。
これからどうなるのか・・・
ナマステ主任さん、コンドーさん、私、あとは配達バイトのお粗末爺さん、朝刊バイトの大工の源さん、留学生が3人、しかいません。
実は、このブログはプライバシーに配慮して、日にちを置いて、後から思い出しながら書いているのでわかるのですが、実は11月から諸紙が相当数増えて、10月はその準備で大変だったのですが、店長さん、ほんとに無責任ですよね。
しかし・・・とりあえずまた配達の人手も足りないことだし、また超ハードスケジュールに逆戻りですね。
転送業務を終えた後、別の区域をフオローとか、1区域配達した後、また別の区域をフオローとかですね。
最近は部数が減ったので区域編成をやっているので、配達区域が広がり、負数もふえているので、1区域配達後のフォローも大変です。
私だけでなく、主任さんも嫌だと言っていましたから。
臨海部の大工場の正門が6時に開門しますが、その前にやっと門の前にたどり着き、インターフォンを押して、**新聞です!と言おうとしますが、疲れ切っていて声が出なくて、口をパクパク・・・ こんなこともしばしばです。
また逆戻りです。
僕は嫌だ!と言ってみたいですね。