背景には、島根原発近くの活断層をめぐる経緯がある。建設当初、中電は近くに考慮すべき活断層は「存在しない」としていた。それが1998年、原発の南
約2.5キロに長さ8キロの「宍道断層」の存在を認める。2004年には10キロ、2008年には22キロに延長。その都度、国も長さを承認した。
出雲市の会社役員原田明成さん(50)は1998年、島根県原子力発電調査委員会の委員として「8キロ」を承認した。「当時は納得したが、想定外が起きることを想定すべきと今となって思う」と複雑な心境を話す。
島根原発の施設が健全に保たれる地震の揺れの最大加速度も、建設当初の300ガルが、補強工事などにより456ガル、600ガルへと変わった。
地元住民の一部は、中田高・広島大名誉教授の地質調査を基に、宍道断層は全長30キロ以上あると主張。運転差し止め訴訟を起こしたが昨年5月、松江地裁により棄却された。
九州大大学院の吉岡斉教授(科学技術史)は福島第1原発について「津波の前の地震動で重要施設が破損したのではないか」と指摘。「根底が覆った。原発の耐震安全性は前提からやり直すべきだ」と訴える。
松江市で想定される津波 (島根県調査)
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地震想定 |
マグニチュード |
津波高 |
到達時間 |
備考 |
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① 佐渡島北方沖 |
7.85 |
9.93m |
185分 |
島根原発想定と同一の津波 |
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② 佐渡島北方沖 |
8.01 |
12.24m |
182分 |
島根原発想定より震源域を拡大 |
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③ 出雲市沖合 |
7.5 |
1.79m |
13分 |
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④ 浜田市沖合 |
7.3 |
0.52m |
106分 |
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⑤ 隠岐西方沖 |
7.4 |
調査中 |
調査中 |
現在の想定では高さ0.4m程度 |
万寿地震と大津波 万寿3年5月23日(1026年6月16日)
島根県益田市周辺には、万寿3年の津波に関する文献記録が多数残される。この津波の高さは10~20mと記録がある。深夜11時~12時に起きた地震について, 津波研究の世界的権威であった 飯田 汲事名古屋大学名誉教授による1979年の研究報告がある。
この地震により島根県益田市高津の沖合にあった鴨島・鍋島・拍島の陥没および石見の海岸地域の隆起・沈降などの地変が起こり,高津川・益田川下流域および江川下流域に大津波が襲来して大被害を与えた。
万寿地震の大津波 津波の到達地点と高さ (益田地域の伝承)
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地点名 |
所在地 |
津波の伝承 |
伝承の出典 |
津波の高さ |
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石見潟 |
益田市飯浦町 |
岬の先端が欠け今はない |
石見八重葎 |
- |
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持石(場所不明) |
益田市高津町持石 春日神社 |
神石が流された |
石見八重葎 |
18m |
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松崎 |
益田市高津町 |
人麻呂の木像が流れ着いた |
正徹物語 正一位柿本大明神祠 |
23m |
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安富 |
益田市安富町、一帯 |
津波が到達した |
柿本人麻呂と鴨山 |
16.2m以上 |
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護宝寺 |
益田市横田町神田 |
護宝寺が流された |
石見八重葎 |
22m |
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船ヶ溢 |
益田市横田町市原 |
船が漂着した |
横田物語 文献 |
21m |
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遠田八幡宮 |
益田市遠田町下遠田 |
砂丘を乗り越えた |
安田村発展史(遠田八幡宮由緒) |
10~12m |
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貝崎 |
益田市遠田町中遠田 |
水田に津波が到達した |
安田村発展史 |
22m |
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黒岩 |
益田市遠田町中遠田 |
海岸から運ばれた巨岩(津波石) |
安田村発展史 文献 |
25m |
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二艘船 |
益田市木部町 |
2艘の船が打ち上げられた |
柿本人麻呂と鴨山(鎌手村史) |
12.2m |
震央は131.8°E,34.8°Nと推定された。
中国電力が「活断層はない」と言い続けた島根原発も、広島工業大学の中田高教授が実際に掘削工事をして活断層を発見して「あるじゃないか」と指摘した。
中田教授が指摘し続け調査し証拠をつけつけ断層を認めざるを得なかった。原子力安全・保安院で原発の安全審査を行う側に、電力会社が建設と存続に顧問とした学者が関わっている事実。彼らは専門外の地質学まで専門学者の意見を否定した。中国電力の顧問はK笠善博東京工大教授です。中電・上関建設や東電・柏崎刈羽原発など各地の原発審査にも関わった人です。中立であるべき審査する官庁が電力会社でアルバイトする御用学者を動員した。