イスラム教徒イスマイルの証言

 インド洋のエメラルドと呼ばれるペナン島は国際的なリゾート地として多くの日本人も訪れます。英国が支配した時代はプリンス・オブ・ウェールズ島と呼び植民地支配されました。現在では多くの日本企業が進出する大工業地帯です。1927年マレーシアのペナン生まれのイスマイル・ビン・ラザクIsmail Bin Razak氏の証言を紹介します。長年にわたり荷役会社を経営され現在もペナンに在住されます。日本語タイ語を理解するイスラム教徒のマレー人です。

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質問「日本軍がコタバルに上陸したときどのように思われましたか?

イスマイル氏「当時は今と違ってすぐに情報は伝わりません。ラジオもない、イギリスの新聞はあったがよくわからない。状況は人から人と口伝えで伝わってきたのです。イギリス軍を撃破して進む日本軍に私たちは歓喜しました。日本人が我々マレー人を助けに来た。ほんとうに嬉しかった。マレー人は日本軍を歓呼して迎え入れて協力したのです。」

質問「それはイスマイルさんの気持ちですか?

イスマイル氏「私だけでなく、当時のマレー人の気持ちです。」

質問「日本軍は誰と戦い、誰が死にましたか?

イ氏「マラヤにはあと中国人がいました。これは町で商売などやっていましたが、日本軍が来るとジャングルに逃げて日本軍と戦いました。ですから中国人は死んだでしょう。しかしマレー人は死んでいません。」

質問「プリンスオブウエールズとレパルスの撃沈を知っていますか。」

イ氏「人伝えで知って、その後新聞に出ました。みんな喜びましたよ。」

194112月の日本海軍と英国東洋艦隊はマレー沖海戦を交え日本の航空隊は英海軍の戦艦2隻を撃沈した。戦艦を航空機で沈めれぬと言われた世界の常識を破る海戦で、以降の欧米は航空機重視となる。

質問「ペナンに日本軍が来た時の状況を教えてください。」

イ氏「当時私は15歳でした。ペナンにはイギリス軍がいましたがある日、日本軍の飛行機が偵察に来て、その後20機が爆弾を落としていった。これはイギリス軍の基地だけ攻撃した。その様子を目の前にして、見て私たちマレー人は感動しました。私たちはイギリス人に蔑まれ虐められていたのですから。お前らはバカだ、 人間じゃあないと。ほんとうに日本軍に感謝しました。」

質問「その後ペナンに日本軍が進駐しましたが、マレー人を差別したり虐めたりしたことはありましたか。」

イ氏「まったくありません。日本軍は私たちに学校教育をうけさせてくれた。日本軍の先生がマレー語で教えてくれました。仕事もできるようになり、給料もちゃんと 払ってくれた。イギリスがいたときとは全然違います。イギリスは私たちに教育や仕事をやらせなかった。日本人はマレーをマレー人に任せるようにしたので す。その時のマレーと日本の約束は『お互いに協力していこう』」ということでした。マレーは良くなったのです。中国人はジャングルに逃げたままでした。」

質問「その後イスマイルさんはどうされましたか。」

イ氏「17歳で日本海軍に入りました。募集していてテストを受けたのです。人気がありました。競争率も高かったはずです。そしてSYOUNANTOU(シンガポールは昭南島と改名)に行きましたが、このペナンでは25人の青年が行きました。マレー全体13の州から何人でしょう、人数は正確ではありませんが300人くらいはいたでしょうか。SYOUNANTOUにはマレーの青年のほかに、インドネシアの16歳、17歳の優秀な青年もたくさんきていました。」

質問「日本海軍ではどんな職種でしたか。」

イ氏「英語の無線を傍受し日本語に訳す仕事です。潜水艦に乗りましたし軍艦にも乗りました。インドネシアの方まで行きました。給料は一月300円でしたが、日本軍人と比べても十分なお金でした。食べ物も十分ありました。マレー人と日本人との間に問題はありませんでした。偉い人の名前はニシハラさんです。」*注1

質問「1945年8月15日にDAITOUASENSOUで日本が負けて終わりますが、ペナンでどんな状況でしたか。」

イ氏「ちゃんと発表しました。給料はもう払えません。ここにあるものは皆さんで使って下さいと。その後、中国人とイギリス人が戻ってきた。再び来たイギリス人 は以前のような横柄な態度ではなかった。マレー人は日本人から多くのことを学んだのです。マレー人も以前のマレー人ではありませんでした。」

質問「マラヤでの大東亜戦争を、いまイスマイルさんはどう思われていますか。」

イスマイル氏「DAITOUASENSOUは感謝しています。DAINIPPONが来なければ今のマレーシアはなかったでしょう。最大の感謝の気持ちは変わりません。」

 (1)当時の日本軍における待遇については、下記に掲載の「俸給支払証票」は昭和19年8月に応召された陸軍中尉のものだがで、終戦までの給与支払いが記録されており参考となる。部隊は「浦第一二・三七八部隊」であるが勤務地は不明である。摘要に「特定戦地増得()」と記入されており外地勤務だったかもしれない。本棒(基本給)は94円16銭、家族手当15円、増給100円で合計209円16銭となっている。イスマル氏は特殊任務として応分な待遇を受けたと思われる。またニシハラとはチャンドラボースと関る西原市郎機関中佐か?と思われる。