この壁にいつも悩まされるのだが、これはカール・ロジャーズのいっていた「理想自己」と「現実自己」の「自己不一致」に悩まされているということなのか。どうしたらいいのかということでロジャーズの本を探したがいいものが見つからなかった。
「失敗を恐れる心」、「挑戦できない心」というものを問えばいいのか。たまたま古本屋で見つけたこの本は子育ての本だが、「インナーチャイルド」という言葉もあるように心のうちに潜む子ども向けに読むという方法も用いることができるだろう。
自己啓発の「こうしろ、ああしろ」という指示命令のほうがいいと思うのだが、巡り合わせということで。この本はほとんど目次を読めば用足りるという感じもしないわけではないが、文脈での説得力も必要だ。
「同じ失敗を繰り返す大きな理由は、別のやり方を知らないから」。単純であるが、これが大きいのだろう。ダメと思う人は固定観念に凝り固まって、ほかのやり方、どうしたらうまくいくか考えることも挑戦することもなくなってしまう。
「「引っこみじあん」の子どもたちは、失敗するのが怖いのです。自分からは何もしないでいれば失敗しないですむのですから」
「「いつもいつも忘れてばかりなんだから!」と叱っていると、子どもも「自分は忘れてしまうんだ」と思いこんで、そんな自分を変えられなくなります。「どうしたら忘れないか」を自分で考えることが大切なのです」。行動の問題を人格のせいにしたら、その「レッテル」からずっと逃れられなくなってしまうのである。
「困ったことを人のせいにすると、周囲に文句を言う人間に育つ」。「物事が思い通りに進まないとき、他人のせいにしたり、自分を責めたりせずに、いろいろな打開策を思いついてチャレンジできること」。けっきょく、他人のせいにしていればラクである。自分で努力したり挑戦せずにすむのだから。その代わり、なんの成長も果実も得られない。
子どもはほめて育てるのがいいという風潮があるが、「「ほめられて育った子」は、他人の評価を気にし、ほめてほしくて必死にがんばり、ほめられないと不満だし、批判されると非情に傷つきます」。自分の満足は他人から与えられるのでなくて、自分自身の充足感や満足が必要です。
「争いは「いい・悪い」ではなく「考え方の違い」を教える」
「「あなたはそうやって遠慮ばかりしているからダメなのよ。たまにはもっといい役に手をあげればいいのに」と言ってしまったら、子どもを否定していることになります。よけいに前に出る自信を失ってしまうのです。認められて初めて、子どもは「もっとがんばってみよう」と思えるようになります」。これが大事なんでしょうね。人格否定のレッテルを貼られると前に進めなくなってしまう。自己肯定を育んで、ようやく前に進めるはず。
「挑戦への意欲というのは、「絶対に負けられない」と追い詰められているからではなく、むしろ「たとえ失敗しても、精いっぱい力を出せばいんだ」という気持ちがあってこそ生まれます」。この結果いかんに関わりなく、恐ろしくても挑戦した、不安でも力を出したという勇気がその後の行動の違いをどんどん生み出していきます。
「試験に落ちる「恥ずかしさ」より試験までの「がんばり」を受けとめる」
「子どもは自分の失敗が世界一みっともないことのように感じているわけですが、そんな話(母の失談)をするうちに、たいしたことじゃないんだなと思えるようになります」。自分が失敗すると世界でただひとり失敗したように思えて顔をおおいたくなるものだが、ほかの人の失敗の「比較の観点」を与えられると、その他の大勢のひとつにすぎないと安心できると思います。
「挑戦せずにやめてしまえば、不安なことも緊張することもなく、遊びを我慢することもなく、平穏無事に暮らせるかもしれません。けれど、不安なことに挑戦して一生けんめいやった体験というのは、子どもにとって、何ものにも代えがたいものになるのです」
「エリートというのは、成績がいい人のことを指すのではありません。社会のために自分の能力を役立てることができる人のことをいうのです」「自分の力を、どうやってみんなのために使うのか」
「「できない子」ではなく「できないこと」を見る」
「他の子と比較せず、その子の中の成長を認める」
「「結果」より「プロセス」に注目する」
失敗というのは恐れる心をもちながらも挑戦したという勇気によって、どんどんと自信や肯定感を育めるのでしょうね。なにもしなければ失敗もしないが、なにも得られない。
挑戦した人はたとえ失敗して恥をかいても挑戦するという勇気と誇りを勝ちとることができるのだと思います。
それが人生の満足を生み出してゆくのです。
挑戦しない人はほしいものも得られず、挑戦したという勇気も行動力も一生得ることができないと思います。