6月ももう終わりですね。ついに本州も梅雨入りとなりました。

今年中学や高校に入学された皆さんは5月の中間試験の結果を受けて、7月の期末試験に備えてギアを上げておられる方もいらっしゃるかもしれません。入学した学校の試験は、なかなか思ったような結果とならないところもあり、複雑な気持ちで過ごされた方も多いのではないでしょうか。


一方で大学受験を控える皆さんは共通テストの模試を終えて結果が返ってきたでしょうか。聞けば今年度の共通テストの試験時間が伸びたことで、1日で共通テスト模試の拘束時間が長くなり、受験生が疲弊しているとも聞ききます。些か模試と言いながら本末転倒なところは否めませんが、致し方ないところかもしれません。

 

さて、「インターンシップとSFC」で以前に書いた内容のその後の長男トムの様子について書いておこうと思います。
インターンシップは、今の大学生にとってはかなりメジャーになってきているという記事も多く目にします。いろいろな形式があるところは前回にも触れているので、早速本題に入ってみたいと思います。

 

東京・本郷にある会社のインターンシップを受けることになったトムですが、大学のある湘南藤沢と都内本郷との併用をどのようにこなしていたのでしょう。正直に細かいところは把握していなかったのですが、コロナ禍に突入した2年生春から劇的に両立がうまくいったようでした。

 

SFCの1年生は当然ですが、必修課程と専門課程がびっしり詰まっているカリキュラムが提示されます。進級するために必要な科目・単位を早いうちに取ってしまうことにこしたことがないのが、大学の履修戦略です。たまたま1年遅れて入学したことで、昔の友だちが多く入学していてSFCの先輩というかかつての同輩にいろいろな情報をもらい、受講する科目・履修を確保して1年生の時代を過ごしました。勿論、出席を求める授業が語学、体育を含め多く、毎日せっせと学校に通っていました。(「せっせと」という表現はその後のコロナ禍に突入するために通う必要が無くなったことを表してのことですが)

 

1年生の時のインターンシップは、授業が早く終わる曜日や金曜日などの夜を活用して都内・本郷に通っていた様でした。ベンチャーキャピタル(以下、VC)の会社の求める仕事の内容はそう簡単なものではなさそうなのは私もある程度想像していました。

「どうなの?仕事の内容は」とたまに聞いてみると、

「分からないことばかり。でも、会議とかにたまに出させてもらうけど…」と

「企業の経営について学ぶにしても、業務の中身や企業の将来性を学ぶにはいい機会だね」と気休めなことを言ってみたりしました。

まあ、インターンシップなので、無理だったらさっさと辞めるだろうと思っていました。

その後帰りが遅い日も多くなり、どうしたのかと思いきやインターンシップの会社を続けている様子でした。

 

ちょうど大学2年生になる時に新型コロナの発生となり、4月から学校は休校となりました。しかしながら、SFCは比較的早い段階からリモートでの授業開始を模索しており、結果としてGWくらいから早々にすべての授業がリモートで開始されました。

 

少々余談ですが、このリモート授業、当時の環境情報学部の脇田学部長がコロナ禍となった2020年の4月に「(学生は)家にいろ。自分と大切な人の命を守れ。SFCの教員はオンラインで最高の授業をする。以上」というメッセージを新入生・在校生向けにSFCのホームページに載せていました。今となっては当たり前になったリモートの授業も当時としては初の試みだったわけです。

 

最初のオンラインの授業は、総合政策部の鈴木寛教授の「公共哲学」だったと記憶しています。トムも初めてのオンライン授業で、まずは参加してみるか、ということで学生が1,000人入る級(実際の人数は分かりませんが…)の遠隔授業でしたから、それはそれでシステムが落ちないかとか、音声が遅れないかとか、様々な心配をしながら観ていたように記憶しています。

 

脱線をしてしまいました。
ですが、このオンライン授業のお陰で、学校に行かずとも自宅で授業を受け、かつインターンの会社の仕事も合間ですることのできる、今では考えられない環境が長男トムのもとに舞い降りてきました。あくまでもオンライン授業中は授業に専念していた?!、と信じてはおりますが、人間万事塞翁が馬とはこのことでしょう。オンライン授業のお陰で快調に履修・単位を取得してゆきました。

 

コロナ禍もようやく落ち着いてきた夏休みも終わりの頃でしょうか、「来週沖縄に行ってくるから」と言ってそのまま家から出てゆきました。どうやらインターンシップを受けている会社の計らいで沖縄にある大学院大学を見学させていただけることになったようです。そうです、沖縄にある大学院大学といえばOIST:沖縄科学技術大学院大学のことです。

 

同大学院大学は、5年生の一貫性の博士課程を置く大学院大学で、教員と学生の半数以上が外国人だそうです。同大学院大学には毎年20名の学生が入学し、一人の教師が少ない学生を指導する体制で、学生は「衣・食・住」はもとより育児など研究生活に必要な支援が提供されるという、研究生活を送るにはこの上ない環境を提供する大学院大学とのことでした。

 

そもそもこの大学院大学を視察する目的は、やはりこうした研究開発をしている指導体制や学生のレベル、そして大学の研究施設の充実したインフラなどを見ることでこれまで関東近県の大学院と凡そレベルの違う研究を目指す学生や教師の学び・研究の姿勢を見ること、体験することで最先端の技術力や思考力をどのように見つけるか、鍛えるかなどを体感させてもらえたようでした。

 

帰ってきて、私も興味があったので早速聞いてみると、

「まずは疲れたから、寝かせて…」と一言。

翌日、聞いてみると「とにかく大学の設備・インフラが整っていて、学生はもとより教師の方も指導をしながら自分の研究にも没頭できる、素晴らしい環境だった」との感嘆ともいえる感想でした。

「でも、とにかく疲れた理由は、聞くもの聞くものすべて英語での会話で、とてもじゃないけどネイティブじゃなければついてゆけない」とほざいておりました。

それもそのはず、沖縄にある大学にゆく、と高をくくっていたようで、まさか沖縄に英語バリバリの学校があるなんて思わなかったようでした。

 

「でも、羨ましいなぁ」と素直に思いました。会社の費用で研修の一環としてこうした大学院大学を見学でき、そこで働く人、学ぶ人、研究する人などお金を払ってでもなかなか経験できないことを体験してきたわけですから。

 

そもそもこの会社のインターンシップを受けるキッカケとなったのが、昔このブログにも書きましたが、「模擬店、甲子園?!」(2021/07/05)の回でもお話をした大会で、運営の方々に長男トムが働きを認められて、翌年には実行委員会側で働くなどをした際の運営者のお一方が、このインターンシップを受けてくださったVCの職員(多分、役員の方)だったようです。何がどうつながるか、わかりませんが、こうしたキッカケをものにして、その後はVCの投資先に出向、そしてその会社立ち上げメンバーとして、学生でありながらその会社の運営・経営に携わることとなりました。

 

あれから4年くらい経ちますが、いまだに大学に籍を置きながら働いています。早く大学を卒業してもらいたいのですが、慶應の場合はこうした起業等で学校を休学することを由としている制度があります。また、休学制度については詳しくお話しする機会を設けますが、授業料は払わずに施設費だけで年間の費用を留めることができる制度です。

 

ところで「今年はどうするの?」と先日聞いたところ、

「今期も休学届を出してきた」とのこと。

「ぐずぐずしていると、弟に(学年)抜かれちゃうよ」と言ったところ返ってきたことばが、

「大丈夫、やつは医学部6年生だから、まだあと2年はいける」だそうです。

まったく学費を払うのはこっちで、いずれ学費を自分で払ってもらうようにしないと。

今日はインターンシップの話題の続きでした。