梅雨明け宣言がないまま猛暑日が関東を襲う。各地で集中豪雨のニュースがかまびすしい。温暖化の影響で片づけるには被害を受けた地域の皆さんに大変申し訳ない気持ちであるが、まさに温暖化による影響がこうしたところに現れているのかもしれない。
先日、新聞のコラムに「受験の低年齢化、小1で『満席』の塾も 丸投げはNG」という記事を見つけた。興味深い内容でもあり、本日はこの内容を取り上げてみたい。
記事の概ねの内容は以下のとおり。
・中学入試は首都圏の受験者数が増えると同時に、塾通いなどの低年齢化が進んでいる。最大の要因は「少子化」だ。中学受験塾にとっては塾生の確保が最重要課題。塾は他塾に子どもを奪われないように早期から囲い込む必要がある。
・ここ数年各塾は新3年生以下の獲得に力を入れ始めた。「学校から帰宅してずっとゲームをしているくらいならば、学童保育代わりに塾をご利用ください」という説明が保護者の心を揺さぶる。
・しかし、子どもには発達段階に応じた働きかけが大切だ。中学受験の内容は非常に高度なため、内容が理解でき、興味を持てる子は学習が進むが、それはごく少数派。
・低学年は本来、自分の興味感心のあることを追及したり、頭をぼーっと休ませたり、空想を膨らませたりすることで脳を成長させていく時期。塾に行けば学力が伸びるというのは幻想であり、それは新4年生から入塾してきた子たちに抜かれてゆく子が決して少なくない。さらに塾通いは、送迎、お弁当作り、家庭学習のサポートなど親のタスクが増える。
・中学受験自体は、正しく取り組めば学力、心身共に大きく成長する。中学受験を選択するときは、低学年期は「発達段階に応じた適切な働きかけ(わが子をよく見る)」、「勉強は机上だけではない」、「塾への丸投げはNG」の3ケ条を肝に銘じて欲しい。
というのが、大まかな記事の内容。
筆者は、安浪京子氏。神戸大学卒業後、中学受験で算数講師に。プロ家庭教師歴20年以上。
という経歴の方のコメントである。
ここに書かれている内容に異論は全くない。むしろその通りであり、塾に入れられる子どもたちもそうだが、中学受験塾側も本当に悩ましい選択を迫られていることに驚きを隠せない。上述の文章の最後のパラグラフでは、低学年期は安易に塾に行かせるべきではない、ということを演繹的に述べている。では、この時期に本当はどのような活動をすることが望ましいのだろうか。
わが家のお話をまずは紹介してみたい。
前もお話をしただろうか。幼児の時期は、「七田式チャイルドアカデミー」と「水泳」に時間を費やしていた。まだ元気だった頃の妻は、七田式の教えに共感し、多くの時間を費やして七田式の塾に通った。フラッシュカードしかり、エスパー(見えないものを感じ取る力)を鍛える、ドッツを使って計算に強くなる、右脳記憶力・語彙力を伸ばすなどのいわば訓練を受けていたのがわが家の幼児時期だった。小学1年生くらいまで受講していたが、小学1年生ともなると非認知的な部分から認知的なもの、ロジックとして考えるようになるため、こうした右脳開発には向かなくなる。
その後の習い事はお決まりの「公文」。兄のトムが公文に通い出し、それを見ていた4つ下の弟ガジュマルが追いかけるというわが家特有の競争原理が、兄弟二人の人格・性格をつくり上げていった。公文をやっていて為になったのは、数字の取扱い方が論理的よりも感覚的に扱えるようになったことであった。これはこれで小学校低学年の時期にはぴったりの教育なのかもしれない。
というのが、わが家の小学校低学年の習い事だった。塾に行かずとも、というよりは無用に子どもたちに街中(塾のあるところを指して)に行かせることなく家の周りで過ごさせていた。やはり子どもたちの遊びもこの時期必要と判断していてのこと。公文の宿題が終われば近所の子たちと遊ぶ時間となっていた。それはそれで楽しかった様子を今も思い出す。
ここで「受験の低年齢化」について思うことをつらつらと書いてみたい。まさしくやすなみきょうこ氏が述べていたところでもあるが、子どもの性格に合わせた塾選び、塾通いをすることも重要ということだろう。本当に塾に行って自分の子、子らが愉しくその時間を使っているのか、まずはじっくり観察してゆくことなのだろう。「わが子をよく見る」ということは何も客観的に子どもを分析することではなく、今の子どもに何が必要で何が不要かを知ることかもしれない。前もお話ししたが、大概の親子は初めて子を持ち、親になる。例えばお子さんが一人っ子ならば、最初で最後の子育ての実践となり、良くも悪くも一発勝負となる。兄弟姉妹がいるとある程度2回目、3回目のチャンスが出来て、いろいろと試しながら兄姉とは違う子育てのアクションをトライすることができる。この「観察」という作業は、まさしく「言うは易し、行いは難し」である。
その過程で「塾」のカードがどのくらいのウェイトが占めるのだろうか。先のお話しでも送り迎えやお弁当作りまで考えたら親の大きな負担にもなりかねない。家の近くに塾があれば別なのだろうが、遠くまでとなるとかなりの時間が取られることになる。「子どもの為」という呪文に捉われてしまう気持ちも分からなくもないが、まさしく呪文になっているのであれば、親御さんにとっても危険な状態かもしれない。
以前は、といっても以前の定義が難しいが、少なくともわが家の事例で小学校低学年の時期とすれば15年前から10年前を眺めてみると、小学校低学年での塾はほんの一握りだったような気がする。今であれば、ロボットや理科の実験、プログラミングなど各方面の塾が出来ていて、単純に受験塾だけが選択肢となっていないのが実情だろう。
ここからはあくまでも私見であるが、この小学校低学年の時期に自分の子どもがどのエリアに興味を持つのか、あるいは楽しくそのことに打ち込めるのかを確かめることも必要かもしれない。私の会社の同僚でも毎日習い事を入れていて、子どもならぬ親の方が送り向かいで夫婦揃って四苦八苦している様子を見る。どの習い事も子どもが「やりたい!」と言っているのであれば是非続けて欲しいが、じきにどれかに絞り込む作業が必要になることも時間の問題だろう。まずはひとつひとつ通ってみる習い事や塾にしてみるのもどうだろうか。塾もすべての科目を網羅するのではなく、算数なら算数だけ、英語なら英語だけ、というように興味の対象が明確になるような機会を設けて、一定期間が経ったところで次の種目に移ってみる。そして前に習っていたことと比較することで興味の対象が明確になってくるのかもしれない。もっともここでややこしいお話をするが、習う先の先生の質が実は重要。馬が合う先生、子どもを上手く誘導してくれる先生ならば子どもたちも気持ちよくその世界に入って行けるだろう。しかし、そうでない場合がないとも限らない。ここは神様が導いてくれる運を天に任せるのも一考かもしれない。
つらつらと私見を述べさせていただいたが、良くも悪くも子どもの低学年の期間での体験がその後の受験や様々な才能を伸ばすための土台造りが重要であることは間違いないだろう。ポイントは子どもがのめり込むほど楽しめるものは何なのか、を探すことができたら最高ではないだろうか。
