明石屋さんまさんは覚えているだろうか?
10数年前、新幹線の車中で会った変なおばさんを。

初孫が生まれて2年後、ふたり目が出来ました。娘は、ふたり目も里帰り出産を希望し、こちらの市立病院に予約をしたのだが、、、。

ところが予定日よりも2ヶ月も早く破水。

お母ちゃん助けてほしい!
夜中に、娘から悲痛な叫びの電話が入る。
医師から安静にせんと、大変な事になるって言われた。
まだ2才の息子の事や家の事が心配、こんな事って1生に1度あるかないかの事やから助けてほしい。

娘の1大事である!!

よっしゃ分かった!助けたる。

オトカメーの言葉通り助けに行かねば。


朝1番の新幹線に乗り新横浜へ
娘が入院している労災病院へと急いだ。

当日、新横浜で降りて驚いた。
2002年6月9日は、横浜国際総合競技場で、日本対ロシアのサッカーの試合日だった。2002年ワールドカップ、初の2ヶ国での開催。

ブルーのユニフォームを着たサポーターが、駅周辺を海のように埋めていた。しかもタクシーの運転手が、労災病院は競技場の隣ですよと言う。
車道のあちこちに、警官が50メートルおきごとに立っている

―えらい日に来てしもうた!ー

病室に入ると、娘がベッドの上に座っている。

大丈夫?
うん、大丈夫。朝方帝王切開で赤ちゃん生まれた。

エエーッ!!

私の奇声に娘は、お腹を手でさすった。
ほらね。
ほんまや、ペチャンコや。
8ヶ月で未熟児やから、保育器に入ってる。男の子やった。
そう、それは大変やったなあ。でもおめでとう。
うん。この子は、横浜でサッカーのある日に生まれたかったみたい。
そう、ここへ来るまでえらい人やった。
そうやろう、ニュースでえらい盛り上がってた。


その日から2週間、私は横浜に滞在することになった。
婿も、娘が退院するまでの1週間、会社を休んでの応援である。

運転免許を取って17年、私がこんなにも役立つとは、想像もしていなかった。

朝は、炊事洗濯部屋の掃除昼前に孫を連れて病院へ。
赤ちゃんと面会して娘とおしゃべり。談話室で、3人で軽く昼食を済ませてから、孫を連れて買い物を済ます。
帰宅後、夕食の支度と孫の世話

2~3年前までは、姑の病院通いでよく車を運転していたが、地理のうとい横浜、マンションと
病院の地理をしっかり頭に入れ
頑張った。ほんと、頑張りました。
蒸し暑い梅雨の中、運転するために、好きなビールをぐっとこらえ、娘のため、孫や婿のため
頑張りました。
ホンマ、偉い、偉い。


2週間滞在の後半の頃、娘が退院、傷はまだ癒えていないが、あと数日で抜糸、赤ちゃんは少しずつだが体重も増え、元気な様子。婿が撮ってくれたビデオをみやげに、私は1度帰阪することにした。


新幹線乗車前に、新横浜駅構内でみやげ物を物色、横浜と言えば、中華街。駅構内には横浜焼売がたくさん売られていた。
その中の数軒を見渡した。特に客の並んでいる店でみやげ物を買った。

旅に出ると、どこの物が美味いか分からない。
その土地、その土地の名物を売っているが、味の方は?
そんな時は、行列の多い店を選ぶ。
美味いから並んでいる、と勝手に思い込んで。


みやげ物と昼食の弁当とお茶を買い、新幹線に乗るために改札を通り、ホームでこだまの到着を待った。


やっと解放され自由になった。


と思ったとたん、無性にビールが飲みたくなったのどの奥が
オーレオーレオレオレオーレと歌っている。

見ると、数メートル先に売店がある。
外から中を覗いて見た。
オッ、私の好きな黒ラベルがある。
黒ラベルを発見すると、矢も盾もたまらず、売店に入り黒ラベルを買っていた。
買い込んでいる間に、こだま到着のアナウンス。私は慌てて11号車の例に並んだ。

扉が開き、前列の乗客の後ろから客車に入り乗車券の座席を物色したがどうも違う、車両の
雰囲気が
    
   
もうもうとしたたばこの煙、しかも、男ばかりだ。


しもうた!ここは11号車とちゃう!喫煙車や!


どうやら、私は間違って4号車に乗ったようだ。ひとかたまりになって談笑していた族が、一斉にこちらを見た。
シーンとした静寂。
ストローハットの網目の隙間から、彼らの表情が丸見えだ。
―オーッ―!
声はないが、口を丸めて歓声を上げ、互いに目を交わしている。
そんな、歓声を上げるような若い女性じゃございません。
出で立ちは若いかも知れない。
白いジ-パンにスポーツシャツ、白いスニーカーにストローハット。このハットを取ったならば、ハッと驚く年寄りなのに。

小さな旅行かばんにみやげ物の紙袋、そして、ビニール袋に入った弁当とお茶、黒ラベルにおつまみ!ビニール袋は半透明なので中身が分かる。これが男性ならば、誰も気にも止めないだろう。

4号車の族の目を、バッタバッタと切り捨てて5号車へ。こちらは自由席、平日の真っ昼間の新幹線は、意外と空いている。と通過しながら思った。

5号、6号、7号車の自由席はまばらで、新聞、雑誌を読んでいる人、アベックで弁当を食べている人、親子連れの人。しかしいずれの人も、客車を間違って入って来た異邦人を一斉に見る。これは、11号車にたどり着くまで、幾人の目を切らねばならないのか。

歩きながら、客車を間違った原因を思いめぐらした。
私は、ビール飲みたさに、売店のハシゴをしたようだ。
これが失敗の源。久しぶりに大ボケをしてしまった。

自由席を通過して8号車へ。
こちらはグリーン車、グリーン席の前方には、数人のサラリーマンらしき人達が、ビールを飲みながら談笑していた。

4号車の雰囲気とはちょっと違う。4号車の族は不良の匂いがした。それに、実に楽しそうだった。
8号車は、同じビールを飲んでいても、優等生の匂い。
タバコのある、なし、でこんなにも違うのだ。

優等生の族もドアを開けると、こちらを見る。
私は何か、自分の体から異様な光を発しているのだろうか、と思ったほどである。
エエーイ、ヤッ!
と切り捨てて通過する。

グリーン席もガラガラだった。8号車のサラリーマンが目立っただけで、9号車は数人だけ、
あと10号車を過ぎれば11号車、

ーもうすぐビールが飲めるー

10号車の前方の数人はタバコを吸っていた。グリーン席でも10号車は喫煙車のようだ。
中間に乗客はなく、前方左の後部座席に、ポツンととひとり男性が座っている。

野球帽を目深にかぶったその人も、私を見ている。
ーこやつも切り捨ててー
ストローハットの網目から、近付く乗客を見た。
日に焼けた顔にス-と通た鼻。

ーどこかで見たことがあるー

誰だっけ?

数歩手前で、その乗客と目があった。

ーあっ!、さんま、、さんー

小さく叫んだ私の声に、彼は慌てて
?!知らん?!
と言ったかどうか、そんな反応をしてプイッと横を向いた。

見たことのある顔である。
明石屋さんま、その人であった。だが、そこにいた人は、素の杉本高文。
テレビのチャンネルをひねれば、毎日どこかで見る顔のさんま、さんではなかった。
口を一文字している顔、なんて見たことがない。
以外と男前、それに顔が小さい
第一印象である。

大阪のおばちゃんだったら、その前に座ってサインをお願いしていただろう。
その人が、高倉健さんだったら、私は絶対にサインをお願いしていただろう。
健さんのエッセイ
あなたに褒められたくて
南極のペンギン
旅の途中で







を読ミ、フアンになった者だから

明石屋さんま、さんも料理して、やっと念願の11号車へ。
座席は最前列、私の席は、窓際の男性が、かばんと紙袋を置いていた。ひとこと言葉をかけると、無愛想な顔をして、荷物を自分の足元に置いた。

こっちは、早く弁当とビールが飲みたい。色んな目を何度も切ってきた。
今は、自分に褒美をあげたい。
梅雨の蒸し暑い中、大奮闘して大役を終えた自分自身に。

座席の前の小さなテ-ブルに缶ビール、弁当は、ハンカチを広げた膝の上に置く。
まずはビール、何がなくてもビールが先。私の喉が歌っている


オーレオーレオレオレオーレ


準備オーケ。
ガッと黒ラベルのタブを開ける。
シュワーと泡立つ音、を耳にしながら、もう喉に流し込んでいた。半分位一気に飲んだ。
最高に幸せな気分、

隣の男性は呆れていたかも
通路の左側の乗客は
―女だてらに―
と見ていたかも。
―気にしない、気にしない―
一休さんの心境で、残り半分も一気に飲んだ。


オーレオーレオレオレオーレ





最高に幸せです





健さん、ありがとう。