世界中の国々が技術の粋を集め、覇権を競い合っていた時代。その頂点に立ったのは、ある国が完成させた究極のコンピューターでした。その計算速度はあらゆるコンピューターを追い越し、どんな難問も瞬時に解き明かす。
その名は究極のコンピューター「風」
開発した国のトップは、いつしか「世界の大統領」と呼ばれるようになりました。彼がこの機械に「風」と名付けたのには、壮大な理由がありました。
「この宇宙は、何もない虚無の中に吹いた一筋の『風』から始まった。その風に揺さぶられた宇宙の種が、耐えきれずに大きなくしゃみをした。その衝撃が膨張し、今の銀河も星々も生まれたのだ」
今では「ビッグバン」と気取った名で呼ばれている現象は、元を辿れば宇宙が起こした「みっともないくしゃみ」に過ぎない。ならば、宇宙の根源である「風」の名を持つこの機械こそが、真理に辿り着けるはずだと人々は信じたのです。
「風」の起動を前に、大統領は迷いました。個人の野望や一国の利益のためにこの力を使うのは、あまりに惜しい。そこで彼は世界に問いかけました。 「この『風』に、人類は何を問うべきか?」
届いた質問はまたたく間に溢れ、処理する政府機関がパンクするほどでした。早々に締め切り、集計の結果、最も多かったのは、古くて新しい、あの根源的な問いでした。
「なぜ、人間は生きているのか。生きる意味とは何なのか」
そして大統領は、静まり返る巨大な基盤の前でその問いを入力しました。 世界中が固唾を飲んで見守る中、「風」は間髪入れずにこう答えました。
「その答えを導き出すには、私でも一万年の計算時間を要します。一万年後、再びここに集まってください」
世界は衝撃に包まれました。究極のコンピューターを以てしても、一万年かかる。ならば、その答えにはそれだけの価値があるはずだ。
「答えを知らずには死ねない」と、 そう願う人々は、最新鋭の人工カプセルに身を横たえ、一万年のコールドスリープ、つまり冬眠に入りました。文明の維持を最小限のロボットに託し、人類は「答え」を手にするためだけに、長い眠りについたのです。
気の遠くなるような時間が過ぎ去りました。一万年の歳月が流れ、カプセルが次々と開放されます。白く凍てついた夢から覚めた人々は、フラフラとした足取りで、かつての「風」が鎮座する聖地へと集まりました。
長い沈黙を守り続けていた「風」のモニターが、ゆっくりと光を灯します。人々は渇望するような眼差しで問いかけました。
「風よ、一万年待った。答えを教えてくれ。私たちは、なぜ生きているのか。その意味は何だ?」
「風」は、かつてと変わらぬ無機質な声で、即座に回答を出力しました。
「『なぜ人間は生きているのか、その意味を知りたい』という問いの答えは。……一万年冬眠してまで知りたいと思うほど、切実な事柄である。それこそが答えです」
何を言っているのかわからず、一瞬の静寂の後、不満の叫びが沸き起こりました。「ふざけるな!」「その程度のことを聞くために、私たちは一万年という時間を無駄にしたのか!」「ただの同語反復ではないか!」と。
人々が激昂し、機械を壊さんばかりに詰め寄ったその時でした。「風」の駆動音が、どこか寂しげに弱まっていきました。そして、おもむろに最後の言葉を紡ぎ出したのです。
「……それもまた、人生です」
その言葉を最後に、モニターの光は消え、二度と再起動することはありませんでした。
「風」は、自分の寿命を完璧に計算していました。自分がいつ機能を停止し、いつ最期を迎えるのか。最初からすべてを知った上で、彼は「一万年」という時間を人類に与えたのでした。
人々は呆然と立ち尽くしました。 答えを求めて一万年を費やした愚かさも、機械に正解を求めた弱さも、そしてその果てに得た虚脱感さえも。
すべては、宇宙の最初の一吹きのあとに起きた、予期しない「くしゃみ」の続きに過ぎないのだと、風の止まった静寂の中で人々は悟り始めていました。