説明書の文字が小さい

 

分からないなら「説明書を読んでください」と言われても、そこに書かれている文字が小さい。「小さい」を通り越して、超極小文字が鮮明に書かれている。もう読まないでくれと言われているようで、鮮明に歯がゆい。

 

歳をとって来ると目がかすんで、眼鏡も必要になって来る。眼鏡だけでは間に合わない。虫眼鏡も必要だ。眼鏡がいるから探しても見つからない。「どこに置き忘れた?」の返事は、頭にあるとのこと。

 

記憶もかすんで間に合わない。また「どこに置き忘れた?」と聞いたら、メガネは掛けているとのこと。なくしたメガネが目の前にある。記憶を探す拡大鏡が欲しい。普段かけないでいると、読めない基盤の番号探して、異世界にいるようです。

 

まだ耳はいいようです。音声で説明文を読み上げてほしい。スマホがあれば、カメラで撮って拡大機能を使って見る。アプリを入れれば読み上げてもくれる。機能が多すぎて覚えられない。

 

便利な機能が多すぎて、使いきれなくて不便な世界で暮らしている。「もっと便利になればいいのに」と思っても、便利になればなるほど住みにくい世の中になっていく。ブラウザを拡大して見やすくなっても、戻さないと最適な画面にならない。

 

世の中がどんどん大きくなっている。マクロ機能や高画素ズームを使いすぎたせいだ。月が地球より大きくなって、あべこべの世界に来てしまった。今までできたことは、「電子基板にある非常に小さなパーツの型番を読む」こと。

 

まだまだあった。「洋服の細かい縫い目や生地の質感を観察する」「取扱説明書などに書かれた極小文字を読んでいた」読みやすくするためクロ機能をつかい、見やすくするため高画素ズームを使う。

 

スマホやデジタルカメラを高性能な拡大鏡を使うために、どうして使えばいいのか説明書が欲しい。説明書は目の前にぶら下がっているのに、代わりに日常の仕事は代わってくれない。説明してくれるだけでそれ以上のことはしてくれない。わがままな爺になってきた。