稽留流産です、と言われた日。 | 26歳、初めての妊娠は稽留流産でした。

26歳、初めての妊娠は稽留流産でした。

26歳、初の妊娠をしました。
9週の検診で、稽留流産と宣告されました。
だれかの支えや、参考にどうかなりますように✨

x⇢ @cha35mi

2024.3.9 妊活開始
2024.5.29 胎嚢確認
2024.6.26 稽留流産宣告
2024.7.11 自然排出


今回は稽留流産 と宣告された日のことを話します。





この日は9w2d 妊娠3ヶ月に入った頃。


3回目ともなると病院に行くのも慣れたのもので、

普段方向音痴な私も、すんなりと病院へたどり着けました。



初めて受け付けで渡す母子手帳スター



前回の検診で心拍が見えたすぐ次の日に、

母子手帳を受け取りに行き、

この日に初めて使うんだ‥と思ったら

マスクの下でニヤニヤしていた気がします笑よだれ





診察に呼ばれて、

「最近気になることはない? 」と聞かれ、



数日前から便秘気味でお尻が切れてしまい痔の症状が辛い事と、


寝汗のせいなのか胸元に蕁麻疹が出た。 と伝えました。


ちなみに酸化マグネシウムを前回の検診で

服用を進められ、その経過をお伝えした感じです。


蕁麻疹はもともと皮膚科にかかっているので

そちらに見てもらうのが良いとのことでした。



さて、エコーしますか!


前回の心拍確認は夫(おちゃ)と一緒に見れたのですが今日は私一人でした。


緊張しがちなこの婦人椅子‥もう抵抗はかなり減っていて

「そろそろクリオネちゃんみたいなかたちが見えるのかなぁ〜🥰」とワクワクした気持ちでした。



前回の時は、心拍確認だったので

ずっと気持ちが不安でドキドキしっぱなしで

祈る気持ちで手を組んで先生からの言葉を待ったのですが、機械が入ってすぐに


「あー心臓、元気に動いてくれてるよ!」と

すぐに先生は声をかけてくれました。



それがあったので、

あまりにも無言で機械を動かす先生‥

これは何か違うな、と

考えたくない想像をしました。


カーテンは開かないまま

「ちょっと他の先生も見ますね〜」 と言われ、

小さな声で先生たちが何か話してる。


この時にはもう自分の心臓の音がうるさくて

先生たちの会話は聞こえませんでした。



「カーテン開けますね」


画面に写った赤ちゃんは、

クリオネちゃんどころか前回みた姿とほぼ変わっていなかったです。


素人の私でも分かるくらい、前回あんなに元気だった心臓の動きもシーンとしていて

説明を聞く前に悟ってしまいました。


「前回とサイズも変わってなくて、

前回見えてた心臓の動きもないです」


「稽留流産といって、お腹の中で赤ちゃんが亡くなってる状態です」



寝転がって、足を開いた状態で私は何を言われてるんだろう‥

頭は真っ白で、それでもどこか冷静で


「あー、はい‥」


とだけ返事をしてその後の先生からの説明を受けました。



ただこの時はもう頭が真っ白で追いついておらず、

しっかりした説明をほぼ覚えていませんでした。





・2週間後にまた診察をする

その間に出血が始まり、どこかで赤ちゃんの袋が出てくるはず。

出てきたらジップロックに入れて持ってきてほしい。

痛みと止まらない出血で辛ければ土日(病院が休み)でも来てもらって構わない。

痛みがないようなら冷蔵庫に入れて保管し、月曜日の朝イチで連絡をする。


・2週間たっても出てこなければ手術を行う日程を決める。

日帰りか、状況によっては1泊の入院になる。


・22週までの流産は死産扱いにはならないので

手続き等も必要がない。


・この時期の流産は染色体異常の確率が非常に高いので、自分を責める必要はない 。





注意そのときに聞いた事と、後日電話で確認した事とを織り交ぜております。





その後、待合室に戻り椅子に座りました。



あたりには小さなお子さんを抱きかかえたお母さん。


前回のときにも見かけたお腹の大きなのお母さん。



旦那さんらしき方と嬉しそうに話すお母さん。




以前から9週の壁 という言葉をよく聞いて、

たくさん、知識として調べていました。


でも心拍確認後に流産をするという確率は非常に少ない‥と聞いていたはずだったのに。





「私はこの人達の為に、その少ない確率にぶつかってしまったんだ。」



「私の代わりに、

ここにいる何人かのお母さんは、出産するんだ。」



「見た感じ‥みんな私より全然年上に見える‥

私が一番若そうなのに‥確率に当たったんだ。」





そう思い、スマホを見ると夫からのLINE。

診察に呼ばれる直前まで続いてLINE。





“診察終わったよー”


“早ー!大きくなってた?”




ここから、なんて伝えようと凄く悩みました。

おちゃは仕事中‥この状況を伝えたら辛くなってしまうのではないのか。

でも、帰ったら話すね なんて言うのも

余計に不安にさせてしまうのではないか?

意を決してLINEを送信。





“流れちゃった”



“え?ほんとに?”



“心拍なくて成長してなかった”



“うそ”



“ちゃちゃと、おちゃのせいじゃなくて

染色体異常で赤ちゃん側の原因がほとんどみたい”



“悲しい、一緒にいけなくてごめんね

病院出るときに電話できる?”



“いま電話したら泣いちゃうよ笑”



“おちゃは今泣いてる。”






ここで、ハッとしました。


夫を、一人で泣かせたくないと思いました。



でもここはまだ、待合室で‥

みんな希望を持ったお母さんたちが沢山いる。

私が泣いてしまったら、不安にさせてしまう。


今思えば、私と同じ状況のお母さんもこの場にいたのかもしれないですね。



そう思うとストッパーが、かかっていた涙が

どんどん溢れてきてマスクがビショビショになりました。周囲には気づかれていたんでしょうか‥。




会計が終わり、足早に病院を出ました。

帰ってきた母子手帳には何も先生からの記述はなく、一緒に渡してきた金券もそのまま帰ってきました。


役目を果たせなかったこの母子手帳はどうしたらいいんだろう。


病院を出てからまた夫と電話を少しして、

お家に帰ったらまた話そうねと、会話を終えました。




いつも検診の終わりに、私の母親に電話をしていました。


この日も病院に行くことはわかっている母。


連絡がなかったら不安にさせてしまうかもしれない。


伝えなきゃ‥と勇気をだして電話を、かけました。



母の声を聞くと、なんでこんなにもホッとするんでしょうね?おねだり

こらえていた嗚咽を吐き出してしまいました。



道ですれ違う人は変な目で見ていたかもしれません。


号泣しながら、半ば叫ぶように母にこの事実を伝えるのは本当に辛かったです。



近所に住んでいる母、今から行くから と言ってくれました。

電話越しにも声が震えているのがわかって、私も涙が止まりませんでした。



病院から家までは徒歩20分ほど。



あともうすぐ‥と、思ったときに夫が配達で近くまで来ているから合流して家まで行くことになりました。



夫が、泣いた顔を私は今まで3回ほどしか見たことがありませんでした。


車で迎えに来た夫は 「お疲れ様ー!」と

言って明るく振る舞ってくれていましたが、

その目はいつもと全く違い

あぁ、さっきまで沢山泣いてたんだ‥とすぐに分かりました。



その後に母とも、合流し、家につきました。




これが宣告を受けた日の流れです。



母の前では気丈に振る舞って、無理に明るくしました。でも母はその様子に気づいて察したのか

夫が仕事に戻ってすぐに帰っていきました。




その後、

夫はいつもよりもかなり早い時間に帰宅してくれました。





1/27  生まれる予定だった日です。



「早生まれだね〜成人式で酒飲めないやつ〜笑」



なんて話を予定日決定後よくしていました。



「赤ちゃん、私達とおんなじ将来酒飲みだから‥

成人式でお酒飲めないの嫌だから、

1回帰るねー! って帰っちゃったんだね」



と精一杯の強がりで夫にそういうと、

それまで我慢していた涙が夫からも流れ出して

抱きしめ合いながら何時間も泣きました。




私には幸い、寄り添ってくれる夫と

すぐに会いに来てくれる母がいて心が救われました。


同じ経験をいまされていて、悩んでいる方、

戸惑っている方‥

側にいてくれる大切な方がいますように。




今日はここまでにしますおやすみ


どなたかの参考になれば良いなと思います。





ちゃちゃ🐥