先日行った上野にある国立博物館。
本物に触れることが如何に大事かと感じた。


本物に触れるときは、ボーっと触れるのもいいが、しばらく経つと、その感触や印象を自分なりの体験としてまとめることが欠かせない。ボーっと触れるだけで終わるのは、ボーっと触れることに価値を見出していないだけかもしれないからだ。言葉にする経験をして初めて、本物にある要素を、自分の感性に組み入れることができるからだ。

さて本物の第一印象は、将来の自分に影響を与える。ただ皆が本物だという本物に触れても、何も影響を与えないかもしれない。

その影響は、人それぞれの人生展開が異なるように千差万別かもしれない。正解がないけど、正解がある世界だ。正解は、自分が決めるしたないということは、誰にでも共通する答えになる。

相手が本物かは、人によって異なる。完璧な本物などこの世にはない。仮に、権威者が「それは、本物だよ」と認定したとしても、あくまでその人の意見に過ぎない。

古物鑑定の世界では、鑑定書と名付けられた証明書には「In my opinion, ~」という前振りが書かれている。つまり、あくまで私の意見では、という条件付きということだ。

古物の価値さえ、完璧なものだってないわけだ。

そういう世界から、人や思想の真贋を見極めるのは、さらに難しいと思う。人の考えは、時々刻々と変化する。変幻自在、自由自在。だからこそ、人は成長できる可能性があると言われる所以であろう。

本物に触れ、その本物の価値は、自分の主観で判断しなければならない。他人指標で、真贋を判断するのは、己の生き方を他人に預けているようなものだ。

自分の生き方に責任を持つことで初めて、相手を評価できる立場に立てるのだ。In my opinion の条件付きということもお忘れなく。