ありたい姿ベクトルコーチ
ファッションコーチ 山西真理子です。
最近叔母が亡くなりました。
70代でした。
私の叔母はキャリアウーマンで
男性並みに仕事をこなしてきた人でした。
数千万円をだまし取られたこともありました。
だから
そのことをかなり背負って生きていました。
酷い目にあったと。
でもなおさら、
そのことばかりに心が思いがそっちに行ってしまい
辛かったと思います。
お金をだまし取った人は悪い人かもしれませんが、
それにばかりとらわれて自分のせっかくの幸福感をも
指の間から落としてしまっていた人にも見えました。
何が有っても
何に幸福を感じるのか
何が私の幸せなのか
じゃあこれから、どうしたいのか
どうなりたいのか
どうしようか
それを考え続けることが
大切だと感じました。
人が亡くなると
特に近しい人や親せきが亡くなると
人生の時間は有限なのだと
思い知らされます。
苦労をしなければ幸せになれないとか
下積みが大切とか
そんな昭和の戦前や高度成長期に
作られたような思い込みや決めつけから
もう離れていい時代になりました。
思いっきり離れてみませんか?
そんな呪縛から!
私もそんな信者の一人でした。
今は違います。
自分の研ぎ澄まされた感覚を信じて
自分が魅力を感じる世界や人に素直に
ついていっていいのだと。
苦労神話や辛い事神話に
傾きたい人は、
そう思っていてもいいですが、
あえてお勧めはしません。
辛い思いをしないと
人は幸せを見つけられないのでしょうか?
そう自分に言い聞かせて良いときもあるでしょう。
辛い思いで学ぶことは
確かにあります。
でも、必要条件ではないと思います。
辛い思いは参考や学びには
なりますが
あえてすることはないと思います。
しちゃったとしても。(笑)
それはそれです。
私は中学時代はとても暗い日々を送っていました。
叔母から教えてもらったキャロルキングとビートルズのLPが
私には救いでした。
虚しい日々を、この音楽で何とか生き延びました。
この曲の数々は、私の心の「湯たんぽ」でした。(笑)
叔母にはとても感謝しています。
そんな叔母が
一人の女性として働き続けるとき
男性並みに働いていたことを覚えています。
子供心に働く女性になるのは
損なことなのかもしれないと思っていました。
幸せではないことなのかもしれないと、、、。
そんな世代が有ったからこそ
今の働き方改革の小室さんみたいな
女性も出てくることが出来たとも言えますが、
昭和40年代から60年代当時の日本の社会では、
女性の立場は寒々として
働きにくかったと思います。
男性ほどに働くことを飲み会参加を強いられていた時代です。
時間や自分の幸せを犠牲にしてきた部分も多いと思います。
その姿ははたしていい社会でしょうか?
それを男性が女性に求めるのが良い社会でしょうか?
苦労をしなければ仕事じゃないとか、
女性はお茶出しをしてればいいとか、
提案や提言できないとか、
人とあるいは人以上に働かないと
上司に何も言えないとか、上司より早く帰れないとか
もうそんなこと、辞める時代にしていきたいのです。
それぞれの立場の人から老若男女、
軽く意見が言い合える、
そしてより良いものがその場のみんなで
作り上げていくことができる
そんな社会の方が、楽しくありませんか?
同じ仕事を進めていくうえで、
こんなに楽しくて面白いことがあるでしょうか?
古き良き時代には郷愁や美化された時間もありますが、
働く女性には辛い影を落としていた時代があったこと、、、。
今も大して変わっていないのかもしれませんが、
その部分に対してどうしていくかは、
いまでも私には大きな問題なのでした。
読んでくださって、ありがとうございます💓