母と私のお話⑧


ヘルパーさん
看護師さん
リハビリさん
訪問医師さん


最初は週に何回程度だったが、
徐々に徐々に隙間なく
1人の時間が少なくなるように
月曜日から土曜日まで
スケジュールを組んだ

日曜日は私が担当

介護を受ける前から休日は
実家に行って母の洗髪したり、
掃除、買い物、
お昼ご飯を作っていた。

大半の時間は

食卓に座って母とおしゃべり

私の大好きな『嵐』の話をしたり

母の大好きなスポーツの話をしたり

昔の話をしたり

いつも2時間以上は話をしていた。


少しずつ話の理解が難しくなっていく

携帯電話の使い方も忘れていく

何度も何度も教えてほしい
紙に書いてくれと言った

母はいつも機嫌の良い人だったが
イライラして
手がつけられなくなる日もあった。

感情のコントロールが
難しくなってきたんだろう。

消えゆく記憶や
幻覚、幻視、幻聴の
恐怖もあっただろう。

そして母は
レビー小体型認知症と診断される。



今、思う…

あの食卓で2人で話をしていた時間が
とても貴重で温かく楽しい
ひと時だったと思う

きっと母もそう思ってるだろう…