​私は小さい頃から
ケガがつきない子供だった。

捻挫は日常茶飯事。

中学1年生の時に既に
ドクターストップが
かかったくらいだった。


高校1年の時

バレーの練習中に

足の甲の靭帯を損傷。

足の甲がバキッと音がした。

『折れた!』

って思ったら

靭帯損傷だった。

その時の感想は…

『足の甲にも靭帯あるんだなぁ…』

サラッとした感想だけど、

勝手に涙が出るほど痛い。


松葉杖生活となった。


松葉杖を肩に担いで
チャリに乗って通学した。

松葉杖をついて歩くよりも
はるかに楽。

鍛えてる脚力があるので
片足でこいでも何ら問題ない。

ちなみに。。。

近所の人達からは
こんな風に
言われていたらしい。


子供が怪我をしてるのにも関わらず
送り迎えもせず自転車で
通学させる変わった家族。。。

姉も高校の時足をケガして
松葉杖を担いでチャリで
通っていた。

ちなみに…

私たちは
『松葉杖姉妹』
と言われていた。


母は何も言わないが
スタンスはこんな感じだ。

『スポーツをしていれば
ケガはついて回ってくるもの』

『自分で何とかやってみなさい』

『もし自分で何ともならなければ
手助けします』


ケガをして家に帰ったら
いつも涼しい顔して
こんな風に言われた。

『あらーまたケガしたのー』

『それで?病院はどーするの?』

どうするかの決断は
私にあった。

『自分の体に聞いてみなさい』

ということだ。


ケガをして
親に助けてもらったことは
一度たりともない。

好きでやらせてもらっているのに
迷惑はかけられない。

私は特に身体能力もなく
虚弱体質だったため

『バレーを辞めなさい』

と言われかねない。

余計に泣き言は言えない。

とにかく私のやるべき事は

数週間で治して

またバレーを始めるだけ。



母は運動神経抜群な人で
高校まで
ソフトボールのピッチャー兼
短距離走の愛知県大会の
選手だった。

ケガのことは身をもって
理解していたんだろう。