歌手の美川憲一(76)が東京都世田谷区にある豪邸を売却した。
1993年に新築し、生みの母、育ての母との3人で暮らした豪邸。
当時「総額7億円」と言われ話題になった。
美川は米ロサンゼルスにコンドミニアム、タイにマンションを所有している。
訪れるのが難しくなり「売ってもいいかな」と考えたというが「どちらもとても楽しい場所。
また旅行で行くのを楽しみに、おいておくことにしたの」と明かした。
豪邸があるのは、高級住宅地として知られる世田谷区深沢。70坪(約231平方メートル)の敷地に、
地上3階、地下1階の8LLDK。床の大理石はイタリアから、外壁のレンガはカナダから取り寄せた。
豪邸は、育ての母への恩返しのために建てた。実母の百瀬以し子さんは未婚のまま美川を出産。
売却したのは昨年12月。美川は「同居していた2人の母が亡くなり、私ももう暮らしていない。
固定資産税や維持費も結構大きかったから」と明かした。
芸能界で成功を収めた美川は47歳の時、米子さんへの恩返しのため豪邸を建設。
そこに以し子さんが「私も一緒に住みたいわ」と希望し、3人で同居することになった。
美川が以し子さんとひとつ屋根の下で暮らすのは実に45年ぶりだった。
波瀾(はらん)万丈の人生や2人の母との思い出が詰まった豪邸。【豪邸売却】美川憲一
お庭にあった桜が見事でね。春に3人でお花見をしたのがいい思い出」と懐かしそうに振り返った。
96年に米子さん、06年に以し子さんが死去。「思い出が詰まった家に1人で住むのは寂しいし、
この年齢になるとマンションの方が楽」と、現在は渋谷に購入したマンションで暮らしている。
売却は1年ほど前から考え始め、自ら希望者と会って「この人なら」と思える人を選んだ。
「総額7億円」と話題になった豪邸だが、約30年がたち売却額は「その3分の1くらい」だったという。
今月15日に76歳になった。終活を始める人も多い年代だが
「私はそういうことを考えるタイプではないのよ」とキッパリ。
「90歳までステージに上がって歌うのが目標。3年後にはデビュー60周年も控えてる。
キラキラと輝き続けるためにお金は自分に投資して、しぶとく生きていくわよ」と力強く語った。
◇美川 憲一(みかわ・けんいち)本名・百瀬由一(ももせ・よしかず)1946年(昭21)
5月15日生まれ、長野県諏訪市出身の76歳。65年「だけどだけどだけど」で歌手デビュー。
66年に「柳ケ瀬ブルース」、72年に「さそり座の女」がヒットした。
80年代後半のコロッケのものまねで再ブレーク。NHK紅白歌合戦に26回出場。
『危ない遍歴裳を持つ』