【元明天皇千三百年式年祭の儀】 | 【かほり放送局】

『ご事蹟を学び歴代天皇を偲ぶ』

ご事蹟を学び歴代天皇を偲ばれる皇室ご一家歴史と伝統は次の世代へ

2日に行うのが恒例となっていた新年一般参賀は中止となりました。

 

天皇皇后両陛下は、こうしたご事蹟について宮内庁書陵部がまとめた資料を読んだり、

12月17日には、専門家の愛知県立大学の丸山裕美子教授からお話を聞かれています。

12月23日には、秋篠宮ご夫妻も元明天皇のご事蹟について、教授から話を聞かれたということです。 1月2日午前、天皇陛下は宮中三殿の「皇霊殿」へと入り拝礼され、

続いて秋篠宮さまも皇霊殿で拝礼されました。

治世9年 元明天皇とは1300年前に亡くなった元明天皇とはどういう方だったのでしょう。

父親は天智天皇、母親は蘇我倉山田石川麻呂の娘で、西暦661年に誕生したとされています。

天武天皇と持統天皇の間に生まれた草壁皇子。

二人の間には、後の文武天皇、元正天皇が生まれています。

707年に文武天皇が亡くなったことを受け、第43代天皇に即位します。

当時は、文武天皇の息子、のちの聖武天皇がまだ7歳と言うこともあり、

孫の成長を待つこととなったのです。

元明天皇の治世は9年で、715年、元正天皇に後を譲り退位しています。

平城京への遷都です。文武天皇の時代から計画が進められ、

710年に藤原京から遷都が実現したのです。 二つ目は、本格的な貨幣、「和同開珎」の発行です。

貨幣の流通を本格させることで、通商の奨励策としたのです。

貨幣などの蓄財に合わせ位階を与える「蓄銭叙位令」も発しています。

三つ目は、「古事記」の完成です。もともとは、天武天皇が歴代の天皇のご事蹟などをまとめようとしていましたが、編纂途中で文武天皇が亡くなり、中断していたものを完成まで至らせました。

「風土記」の編纂にも積極的に取り組まれています。

そして、太陽暦の712年1月2日、61歳で亡くなったとされています。

亡くなられた天皇は、3年、5年に続いては10年ごと、50年のあとは、

100年ごとの節目で宮中三殿の「皇霊殿」と「山陵」で式年祭が行われ、

今年亡くなって1300年の節目を迎えた元明天皇の式年祭が行われました。

つまり、元明天皇が亡くなられて1300年の命日に、そのご事蹟を偲びお祭りが行われたということです。