《いじめられていた中学校時代の中川翔子さん》
「全然覚えていない、本当に嫌すぎたみたいで……」突然のグループ出現、溶け込めず
中学の時は1日ずつ1時間ずつがすごく長かった。
学校行けなかった自分へ…「オールオッケー!」と言えるまで「しんどい時こそ、夢の種
「『これ、好き』『これ、おいしい』。心が少しまろやかになる瞬間を積み重ねていったら、
それはいつかの未来の『さなぎタイム』、エネルギーチャージになっています」と話す
「消えちゃいたいと思いながら、ひたすら夜をやり過ごしていました」。
休み時間、給食の時間、授業の移動、全部がいやだったので。「9月が始まると思うと、憂鬱でしたね」。
あの時の自分に声をかけるとしたら、「大正解! それを続けてって伝えたい」と言います。
漫画の話で友達と盛り上がっていました。
それが、受験で小学校の友人が少ない中学に進むと、がらりと雰囲気が変わりました。
「なに、絵なんか描いてるんだよ、キモイんだよ!」って言われたり。
「え? 絵を描くのってキモイの?」「私、ちょっと変な人って思われているかもしれない」
って焦って、余計に空回りして。
「なんで私がこんなこと言われなきゃいけないんだ」とか、「なんであいつらはやったもん勝ちなんだ」
って、やられたことを憎んだりしちゃって、精神的には負のスパイラルでした。
とにかく、私がいるところを見ないでくれという感じ。
学校って、本当に気を遣っていないといけない。ちょっとでも変なことを言うと
「何あいつ」って、一瞬で色が変わっちゃう。
「あ、やばい」と思っても、もう遅い。そんな細心の注意を払うことが、私にはできなかったんです。
大人になると時間って早く過ぎちゃう。嫌なことも「切り替えていくしかない」
って考えられるようになってきたけど、中学の時は1日ずつ1時間ずつがすごく長かった。
一人っ子で、もともと「これが好き」ということを堂々としていました。 |