【帰らんちゃよか】 | 【かほり放送局】

「生きたらよか」関島秀樹の歌をカバーした曲

『帰らんちゃよか』 ばってん荒川さん、島津亜矢さんが歌う。
ばってん荒川さん歌い方に心打たれる。
目頭を熱くしてパソコンを見ながら一緒に歌う。帰らんちゃよか 帰らんちゃよか
故郷を思い・・・母に悪いな~思い
頃曲私のカラオケの十八番にしょうかと思う。い~い~だ詞。

【ばってん荒川】

本名:米嵜一馬(ヨネザキカズマ)
  生年月日:昭和12年2月8日 出身地:熊本市 父は漫才師の荒川九州男・母コト。
昭和27年(15歳) 中学校卒業。母親と祭りの舞台に上がることもあった。
昭和30年(18歳) 「ばってん組」に入団。芸名は「肥後ばってん」。
昭和31年(19歳) “お米ばあさん”を生み出し、活躍。芸名を「ばってん荒川」に改名。

戦後、存続が危ぶまれた肥後にわかを復活させ、支えたことから「肥後にわかの巨匠」と評され、九州では佐賀の筑紫美主子と並ぶ「にわか芸の大家」として知られた。 
昭和38年(26歳) 東京浅草の松竹演芸場で「ばってん劇団」を公演。演芸酒場「お米」を経営。
昭和45年(33歳) 5月、大映レコードより「火の国一代」でデビュー。15万枚売れるヒットとなる。 「屋台」九州三大祭り(博多山笠・熊本火の国まつり・鹿児島おはらまつり
角座公演、浅草・松竹演芸場、日劇、新宿コマ劇場、国際劇場、ブラジル公演行う。

キングレコードへ移籍後発売した「屋台」でヒット賞を受賞。
平成5年(56歳) 九州三大祭り(博多山笠・熊本火の国まつり・鹿児島おはらまつり)「九州まつり唄」を発売。 40周年記念曲「草千里」を発売。
アルバム収録曲「帰らんちゃよか」では、新ジャンルに挑戦し、好評を得る。
膀胱の病気で2ヶ月入院。療養3ヶ月。
平成9年(60歳) 3月に現場復帰。
4月、アクロス福岡にてリサイタルを開催し、市原悦子と共演。
KKT「テレビタミン」始まる。
平成10年(61歳) 松原のぶえとジョイント全国ツアーを60ヶ所で開催。
ミニアルバム「つらいもんだね」を発売。
平成11年(62歳) NHKハイビジョン「ビルボードクラブ」出演。「帰らんちゃよか」がヒット。
平成12年(63歳) ハイビジョンドキュメント出演。NHKスタジオパーク出演。
6月、福岡県北九州市・スペースワールドにて市原悦子とミュージカル初共演。
8月、KKTドキュメント「海峡を越る歌」訪韓《慶州ナザレ園》(芙蓉会)5回目の慰問。
平成13年(64歳) 芸能生活45周年リサイタルを熊本(ゲスト:藤山直美)・福岡(ゲスト:氷川きよし)にて開催。
3月、芸能生活45周年記念「ばってん荒川全曲集」を発売。
平成15年(66歳) 6月、熊本にて「ばってん荒川リサイタル」開催。(ゲスト:市原悦子)
平成16年(67歳) 5月、女優・石井トミコとユニットを組み、「ピンコロズ」を結成。
「ピンコロルンバ・ピンコロ音頭」を発売し、全国キャンペーンを展開する。
平成17年(68歳) 3月、福岡にて芸能生活50周年を記念して「ばってん荒川を囲む会」を開催。
テレビ・ラジオ等、レギュラー番組を6本持ち、九州を中心に全国区のマルチタレントとして活動。
平成18年(69歳) 1月より体調不良により入退院を繰り返していたが、10月22日他界。享年