【昭和を彩ったテレビスターがまた逝った】 | 【かほり放送局】

【 小野ヤスシさん、腎盂がんのため死去…72歳】
体調が悪化したのは今月13日。都内の病院に入院したが、自宅に戻ることはできなかった。
 大好きなプレスリーの曲を聴きながら、28日午後10時すぎ、容体が急変。
芳子夫人(55)と菜々美さん、長男(25)に看取られ、眠るように息を引き取ったという。
 小野さんは2009年11月に定期検診で腎盂(腎臓と尿管を結ぶ部位)にがんがみつかり、翌10年1月、約12時間にも及ぶ右の腎臓の全摘出手術を受けた。
 今年に入ってがんの放射線治療を行い、その副作用で髪が抜け、かつらにしていたという。
同3月、都内で行われた芸能生活50周年パーティーには元気な姿をみせ「たばこの副流煙で弱ってしまった~」と明かし、「健康な体でみなさんに会いたかった」と感無量の表情を浮かべていた。
昨年4月には埼玉・川口市内で行われた東日本大震災の復興支援チャリティーライブに俳優、石田純一(58)らと出演。「被災者のために何でもやっていきたい」と支援活動にも力を入れていた。

 最後の公の場は今年3月1日、ドリフターズの後輩、加藤茶(69)の結婚披露宴で、司会を務めた。加藤はたびたび小野さんの見舞いに訪れていたという。

 小野さんは1964年、ザ・ドリフターズから独立した形で音楽バンド「ドンキーカルテット」のリーダーに就任し、本格デビュー。
 71年の解散後はバラエティー番組を中心に活躍した。
フジテレビ系「スターどっきり-」では、「おはようございま~す」と寝室に入り、軽妙な語り口で松田聖子(50)や郷ひろみ(56)ら70~80年代アイドルを驚かせ、人気者に。
 同局系クイズ番組「なるほど!ザ・ワールド」ではレギュラー解答者を務めた。

 「鳥取が生んだ天才“スーパースター”」と自負するほどの郷土愛の持ち主で、95年の参院選には自民・無所属の推薦で鳥取選挙区から立候補し、落選するなど話題を振りまいた。